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日本古代;征服部族が作り上げた支配構造 

Posted By ihiro On 2009年9月26日 @ 10:30 PM In Ⅲ弥生ー律令 | 17 Comments

日本の古代黎明期を追求しつつ、未来狂冗談氏「皇統と鵺の影人 第一巻」 [1]を拝読した。かなり面白いサイトで、切り口も鋭く独自の視点で説を展開しています。
ここで敬意を表しつつ、氏の説を紹介したい。かなり長い内容でしたが以下、一巻のポイントを以下にまとめてみました。


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●朝鮮半島や南方からやってきた征服部族が支配部族となった
・朝鮮半島から南下した征服部族や琉球列島を北上してきた部族に列島の西側から次々の征服されていき、征服部族は次々と小国家を作り、支配者となった。それが邪馬台国や伊都国などの倭の国々。
・武力に勝る少数部族が支配者となり、その血統を維持しながら被征服者の多くの民人から永久に搾取するシステムを構築した。それが後の皇統であり、貴族の血統に続いていく。渡来部族である征服部族は、朝鮮半島の母国の親族と連携し倭国で勢力争いを繰り返していた。
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〔2世紀頃の東アジア〕
●支配部族が血統を保持し、それが明治まで続いた。名字は土地の支配権を意味していた。
・征服者と被征服者の違いが「明治維新まで」は氏(うじ)と姓(かばね)で直ぐに判る仕組みだった。氏(うじ)と姓(かばね)は、征服王の神々の子孫しか名乗らせない。
被征服者の農民や漁民の生活環境は村落であり、身分はその地名に住む誰々で苗字に当るものは無い。苗字の語源は、土地の所有(支配権)を意味していた。
※江戸中期における日本の全人口三千万のうち、氏族は全体の六%(内・皇族、華族、士族 合わせても人口の四%弱残りは神官、僧侶が二%)、平民その他は八十九%、非人(賎民)と言う扱いの被差別部落民が五%と言う割合だった。
●征服部族の長の屋敷が神格化され神社へ
・征服部族は、武力制圧のために城塞集落を築いた。征服地の統治を容易にするには、民人が信用する絶対的な逆らえない武力以外の力が必要だった。それは、天上からの神の声で、氏族長の神格化を進めるにあたって、氏族長を神と成し、屋敷を神域化して神社とした。同時に、その后妃(ごうひ/妻)を、シャーマン役の女神に任じ御託宣(ごたくせん)の能力を持たせた。
つまりシャーマニズムを統治に活用した。その部族のリーダーの屋敷が時を経て聖域として神格化されて「神社に成った」と推測している。
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〔出雲大社〕
●軍事力を持った氏族(軍閥)が各地を占拠してきた
征服部族の鎮守氏上による地方統治の歴史的経緯から、日本では、言わば「氏族」と言う名の血縁を構成する私兵(軍閥)から、特殊な軍事組織の歴史が始まって、それがほぼ明治維新に至るまで基本となっていた。
つまり、倭の国々の時代から、「征服部族の長」を中心とした軍事組織(氏族)が、そのままピラミッドを構成して小国を構成していた。そして、その小国が一定の自治権を保有しながら最終的に五ヶ国位(五王並立)に統合し、その長(大御門・後の臣王)達が集合して大和朝廷を構成し、大王(おおきみ・後の帝・天皇)を置いた。
大和朝廷は、倭国の縮図と言える。つまり、狗奴(くな・呉系)・任那(みまな・加羅系)両国系誓約合体の天皇家とは別に、倭の国各地(各国)出身の豪族(部族王・御門・臣王・族長)の和邇(呉系・百済派)、葛城(加羅系・任那派)、大伴(加羅系・百済派)、物部(呉系・新羅派)、蘇我(高句麗系)、中臣(加羅系・百済派・後の藤原氏)などの「王」が、それぞれに日本列島の土地を領有する連合国家であって、まだ権力は完全統一的なものでは無かった。
●多数の民族を統一して単一民族に融合するには、誓約(うけい)に拠る人種的混合が必要だった。
連合王国の大和王朝にとって、誓約(うけい)の共生社会イデオロギーが、唯一の異民族平和融合の手段だった。誓約とは、異民族の王同士の結婚、これは民族の和解を意味し、双方が滅びないで同化するのに一番手っ取り早いシンプルな方法だったから。
(象徴的なのは、狗奴国スサノウと邪馬台国卑弥呼の誓約による天皇家の始まり。)
●構造的支配を確立するためにとった方策
氏族が子孫繁栄を願い、構造的支配権を確立するには、幾つかの施策が必要だった。
・血統の特別化 →差別・被差別の設定。
 貴賎を設定して職業を割り振り、それを固定させて「被差別の強制世襲」を負わせる構造を作り上げた。
・学問の独占
・技術の独占

※この国の指導者階級「氏族」は、征服部族として日本列島に渡って来た時、様々な最新技術を持ち込んだ。そしてその最新技術は、それぞれの「氏族」の秘伝専有の無形財産だった。
従って、比較的地位が低かった他国の鉱工業技術者と違い、この国の鉱工業(製薬・機織り・鉱山開発・鍛冶製鉄・鋳造・造船・製薬)や稲作術などは全て指導者階級の「氏族」が専有した技術であり、永い事武士や宗教と兼業の誇り高いものだった。
●諜報機関・世論操作の役割を担った修験道
征服部族が神の威光をでっち上げる国家情報組織として、世論操作・官製メディアの役割を担ったのが修験道。
初期修験道は、芸能を諜報活動の武器にしていた。神楽舞(神話伝説物語)に始まり、中央貴族の白拍子舞や地方の田楽舞などに分化して行き、芸能を隠れ蓑に諜報活動を行っていた。その後、宗教者は勿論、芸能者や武芸者などに細分化した表の顔を持つように成っていく。
修験道組織は、直系の賀茂(葛城)の隠密組織「陰陽寮」が組織され、その後、皇胤(こういん)貴族(皇統の血族)である平氏や源氏に取って代わられる事になる。また、そこから忍者(伊賀・甲賀)、雑賀衆・隠密などの組織が分化していく。(※伊賀、甲賀、雑賀の賀は賀茂氏の“賀”である。)
また室町幕府最盛期の頃に発達した文化芸術・茶道、華道、芸能の家系には、影に諜報員家系の疑いが付き纏(まと)って居る。
※修験者(山伏)の別の顔は、山師(鉱脈師)でもあった。彼らは鉱物資源技術を持ち、辰砂(水銀)や温泉、薬草等々様々な産物も探り当て、庶民にその効能を示すことで、神の威光を示す手段とした。
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内容は以上です。未来狂冗談氏の見方が面白いと思ったのは、征服部族が渡来してきて支配部族となったときから、彼らが少数派の状況の中でどう考え行動し、様々な仕組み作っていったかという視点で歴史事実を探っている点です。このような視点で追求している本やサイトは非常に少ないと思う。
これにより、いままでつながらなかった事象(ex修験道や芸能)や不可解だった事柄(ex日本による大陸への侵略)も明確になってきます。日本の企業群が世界最古を誇っているのも、ここにルーツがありそうですね。
また神社にもいろんな性にまつわる儀式やモノがあったりするのも、何かつながりが見えてきた感じもしてさらに調べたいところです。
氏の説も参考にしつつ、さらに深く日本人の起源と日本史の構造を探っていきたいと思います。
応援よろしくお願いします。
(by Hiroshi)


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