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新テーマ:「日本人は闘えるのか?」①~縄文から流れる日本人の可能性と弱点

民主党鳩山内閣が動き始めましたね!
今回の民主党の圧倒的勝利は、これまでの60年にもわたる自民党の権力支配の壁を打ち崩したという意味において画期的な出来事であり、大衆的な共認闘争の勝利である、というのが本質ではないでしょうか。
そんなわけで民主党には真の意味での“民主”政治を期待するわけですが、自民党が崩落した今、残された課題は“第一権力たるマスコミ”との闘いです。加えて、諸外国からの圧力も含め、縄文以来の受け入れ体質をに残している私たちにとって、これからが正念場ですね。
そこで新しい時代の幕開けということもあり、新テーマを設定しました。
題して、 「日本人は闘えるのか?」
何回かのシリーズでお送りしたいと思います。
まず初回は、縄文人が渡来人を受け入れた時の考察から、弱点構造の位相について紹介します。
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少数の渡来人が多数の縄文人を制覇しえた理由は?② [3] 
弥生時代を可能性収束として受け入れた [4]、かどうかについては大いに疑問です。
というのは、そのような各集団が独立した状態であれば、その集団に対してかかる同類圧力(侵略圧力)には、あくまでもその集団単独で対応しなければならない、ということになります。具体的にはその集団単独で戦うか、服属するかの選択です。
とすれば、例えば他集団の状況(無惨な敗北)を見て、贈与以来の闘争回避の方法論=服属という判断に多くの集団が傾斜したということが類推できます。
いったん同類圧力(この場合は略奪闘争の圧力)が顕在化すれば、それを制御する力は序列の共認しかありません。具体的にいえばそれは、私権時代初期においては、先ず制覇集団(部族)と被制覇集団(部族)間の集団間の序列として登場し、それがやがて身分序列に転じていきます。
集団秩序や社会秩序の維持=統合が絶対課題だとすれば、彼我の力量を鑑みて服属を受け入れるしか選択肢がない、という状況判断も成立したことでしょう。その際にぎりぎりの妥協策として、集団の共認(婚姻制度など)は可能な限り維持し、社会的序列だけを受け入れるという判断が成立したのでしょう。
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(最初に渡来したのは騎馬民族ではありませんが、、)
略奪闘争の高まりはある意味で社会空間=同類圧力が顕在化する空間がいびつな形で開かれたことを意味すると思います。この同類圧力(私権圧力)の満ちる空間=社会に対して、とことんそれを捨象した、これが縄文人=その後の日本人の特徴だともいえます。つまり大半は、それを前向きの可能性として受け取ったとはいいがたいように思います。これが身内意識の強さや、お上意識の強さ等の、本源的だが社会空間に対して閉鎖的な日本人の体質として、現在も濃厚に残存しているといえるのではないでしょうか。
その後市場によって新しい社会空間が開かれ、現在私権圧力の衰弱によって集団の圧力が衰弱し、意識の外向基調がが顕在化してきまた。(四方勢至: 「外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』」 [5]社会空間での圧力をとことん回避し、本源性を守ろうとしてきた日本人が、新たなこの期待と応望に基づく同類圧力に前向きに対応できるかどうか、今日本人はある意味で第二の正念場に立たされていると思います。

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2千数百年の時を経て日本人が第二の正念場を迎えたという意味、事実に、私たちはもっと自覚的に認識する必要がありそうですね。
縄文共同体の長き共認原理の時代、弥生以降の私権原理の社会、そして現在、私権が衰弱してようやく人類本来の共認原理の時代が到来したということです。
この新しい社会=可能性の開かれた状況において、縄文人の本源性が可能性基盤となることに疑いは無かろうかと思いますが、一方で身内意識が強く社会と距離を置く閉鎖的な日本人が果たして可能性をこじ開けられるのか、実現できるのか、、、
まずは私たち自身、日本人の特性をよく理解するところからはじめていきましょう。

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