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国内最古のイスラム陶器出土!

「縄文と古代文明を探求しよう!」では、定期的に時事ネタを紹介してきたいと思います

時事ネタとは言っても10日程前のネタになりますが、今回は「国内最古のイスラム陶器出土」を紹介したいと思います。

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国内最古のイスラム陶器出土 海のシルクロードで伝来か

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平城京跡で見つかった国内最古のイスラム陶器のつぼの破片
3日午後、奈良市埋蔵文化調査センター

 平城京にあった西大寺旧境内(奈良市)で、西アジアのイスラム帝国、アッバース朝(750年成立)で生産された8世紀後半とみられるイスラム陶器のつぼの破片が見つかり、市埋蔵文化財調査センターが3日、発表した。

 古代の外交窓口だった福岡県の大宰府跡や鴻臚館跡の出土例を約1世紀さかのぼり、国内最古。海上交易を通じ、中国経由で持ち込まれたようで、森下恵介所長は「東西アジアをつなぐ『海のシルクロード』が平城京まで続いていたことを示す第一級の史料」としている。

 破片は19個で、旧境内を区画した溝から出土。外側は青緑色、内側は暗緑色で、ガラス質のうわぐすりが厚く塗られていた。「神護景雲二年」(768年)と記された木簡と一緒に見つかり、年代が分かった。

 つぼは復元すると高さ50センチ以上、底の直径11~12センチもある大型で、イスラム商人が西域特産の「乳香」「バラ水」といった香料やナツメヤシの実を入れて運んだ容器だったとみられる。

 西大寺は孝謙上皇(のちの称徳天皇)が764年に造営を開始。上皇の信任を得て、官の最高位に就き、意のままに政治をした僧道鏡とのかかわりが深い。つぼは、造営が一段落したころに捨てられたらしい。

 陸のシルクロードで伝来した宝物が数多く納められている正倉院にも、イスラム陶器はない。森下所長は「日本にない色合いで、珍重されたのだろう。西大寺は重要な寺で、天皇らが納めた可能性が高い」としている。

『47NEWS』 [3]より引用

通常、考えられるのはイスラムとの交易物(イスラム陶器)が、中国経由で日本に渡ってきたと考えられますが、実際はどうだったのでしょうか?

古代エジプトはプトレマイオス朝の時代(紀元前306年 – 紀元前30年)から、紅海の港からインドと通商を行っており、エジプトを征服した古代ローマはこの貿易路も継承して、南インドにアメリカドゥなどいくつかの商業拠点を築き、絹を求めて中国にまで達したことは中国史書にも記載されています。

モンスーンなどを利用した安全で効率のよい航路は、南シナ海経由で中国にまで延び、やがて海のシルクロードとして東西交易の重要ルートであったようです。
そして、2世紀半ばには当時のローマ皇帝の使者が航路を通って中国を訪れていたとされています。

これは、陸のシルクロードは諸国の戦争でしばしば中断を余儀なくされたのに対し、海のシルクロード、航路は安全で遮るものはなかったようです。

以上のようなことから、イスラム陶器は中国経由で日本に持ち込まれたのではなく、直接、海のシルクロードを渡って日本に持ち込まれた。つまり、イスラム商人と直接の交易があったとも考えられますし、もっと以前に持ち込まれていた可能性もあるように思います。

この辺りも今後の追求テーマの一つになるように思います。

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