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日本の支配勢力1【卜部氏(ウラベシ)の系譜】

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壱岐月読神社
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その由来説明銘板
 はじめまして。2310といいます。今日、初めて、【縄文と古代文明を探求しよう!】のブログに記事を書かせて頂いてます。
 この間、日本の創成期の神話や東国の情勢、蝦夷、葛城氏、卜部氏、蘇我氏、物部氏など豪族の当時の様子や縄文の時代、修験道・山伏の諜報機関、南北朝の勢力分布などに触れ、この時期の史実が驚くほど不明確であることを認識しました。(逆に、だから面白いのですが・・・)そんな世界で人々がどのような共通認識をもって社会を統制していたのかを想像することは楽しく、歴史の面白さをいまさら感じています。
記紀や古事記が当時の支配者によって書き換えられていることを前提に、拙稿でありますが、考えたことを記事にして見たいと思います。
 神話、実話の中で、系統、系譜、事跡が不詳だったり、過去を消して姓を変えたり、自分の都合よく史実を改竄し、支配したりして、実態がよくわからない対象があります。歴史上、なんらかの理由で当時は都合がわるかったとためと解釈できますが、仲間との話しの中で、記紀中で三貴士として重要視されているが、殆ど事跡がない神【月讀命(ツクヨミノミコト)】を不思議にかんじていました。天照大神(アマテラスオオミカミ)が、天皇系統建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)は、出雲系統であるとしたら、この月讀命とはいったいなぜ、記紀に編纂時に必要だったのか?なかり謎です。また、月讀命は、その後の系譜がほとんど記載されていませんので想像するしかないですが、この月讀命を祀る氏族【卜部氏(ウラベシ)】の出自と系譜を見る中で、その中身を見ていきたいと思います。ひょっとしたら、大豪族の葛城氏の系譜か?天皇系統より先に土着の神の系譜か?話題は尽きませんが・・・
詳しい分析は、 【続き】にて記載しておきます。
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★なぜ、月讀命(ツクヨミノミコト)が記紀上重要視されているにもかかわらず、系譜が不詳であるのだろうか?を考える基礎データーを紹介します。(出展不明なものもあります。あしからず・・・)
1】月讀命(ツクヨミノミコト)について
・元の疑問は、記紀の天地開闢の神代七代の最後に、伊邪那美(イザナミ)と伊邪那岐(イザナギ)が誕生し、神産みにおいて生まれた多くの神々の中の最後に生まれた、月讀命(ツクヨミノミコト)は、天照大神(アマテラスオオミカミ)と建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)とともに、三貴士といわれ、伊邪那岐(イザナギ)より世界の支配を命じられたとされる重要な神様。にもかわらず、月讀命(ツクヨミノミコト)だけが、殆ど事跡がほとんどない神ということ。
・記紀上では、少しであるが、神話の中で登場する場面があります。それは、天皇・大和系のアマテラスとの離別場面です。アマテラスが天皇の系譜とするのであれは、その反勢力又は、支配の行き届かない勢力であることが分かります。
【日本神話×ツクヨミ】より [3]
・月讀命(ツクヨミノミコト)という神は、航海する上で、月と星を読む神でもあり、また、暦を数える神という意味にも捉えられます。古代日本は月の満ち欠けによって暦を数え太陰暦を使用してので、月神が必要だったという説もあります。これは、海洋系氏族神の系譜であることを示しています。
・太陽神のアマテラスと海洋神のスサノオは、記紀上で活躍し、一般には、アマテラスは、天皇・大和系譜、スサノオは、出雲系譜と言われるようですが、月神のツクヨミの系譜だけが不詳であるという疑問から、もともと、月讀命(ツクヨミノミコト)は、かなり古くから多くの人が信仰し共認されていたために、日本の創成期の神話からは、除くことができない存在として表記された存在と思われ、かつ、その系統は、当時の支配者にとっては、あってはならないものであった神ともいえましょう。記紀編纂が天武天皇の命より、藤原氏の支配のための史書であることは有名で、月讀命(ツクヨミノミコト)の系譜は、外せないが、系譜を記載しない圧力が働いていたと考えられます。
2】月讀神社について
・本貫と思われる月読神社は、壱岐の国にある。壱岐国は、現在の長崎県で卜部氏の本拠地。その壱岐島にある月読神社は、卜部氏によって祀られています。この神社は古いですが、
3】卜部氏(ウラベシ)とは
・卜部氏は、祭祀貴族の一つで、亀の甲羅の内側を使った占い=卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業にしていた氏族で、朝廷に神祇官の宮主など下級職員として、出仕した氏族です。伊豆、壱岐、対馬の三国卜部氏と呼ばれ(実は、武蔵国や常陸国の東国にも勢力があったといわれています。)常陸の卜部は鹿島神宮の祭祀をつかさどっていたということのようです。卜部氏の「卜」とは、占いの意味。
・天児屋根命12世の雷大臣(いかつおおおみ)を祖とする氏族。子孫は後に吉田社系と平野社系などに分かれ代々神祇大副及び神祇少副を輪番で務めるようになり、その中でも堂上家として残る吉田社系は吉田神道の系譜。(『徒然草』の作者吉田兼好は吉田社系)
・卜部氏の系譜は、「日本の苗字七千傑」 [4]を参照。
4】亀卜とは
・亀甲を火で焼いて、そこに生じる亀裂によって神意を伺い、神の意志を知る卜占の手法で。古代中国の竜山期に鹿・羊を使う骨卜が現れ、殷代に牛・亀を使った甲卜が盛んに行われた。とくに、亀卜による占いが、国家事業遂行上の大切な指針とされて、漢代にまで及んだ。日本へは、朝鮮半島をへてこの手法が伝播し、古墳時代中期に対馬・壱岐へ、5世紀末から6世紀にかけて中央へ伝えられたと考えられる。ようです。
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5】もう一つの月讀神社とは
・全国に月讀命を祀る社がありますが、その数は少なく、中でも有名なのが、京都洛西、松尾山の松尾大社の摂社として祀られている「葛野坐月讀神社」があります。阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が半島の任那(みまな)に遣わされる途中、壱岐で月讀尊の神託があったのでこれを天皇に奏上し、顕宗天皇3年(487年)、「山城国葛野郡歌荒樔田」に神領を賜って壱岐の月読神社の神を勧請したとするようです。松尾大社を祀る秦氏の勢力下にあり、この勧請に絡んでいる可能性が高いとのこと。高皇産霊尊(たかみむすびのかみ)を相殿に祀り、後、中臣氏が祭祀を司ることになります。また、この地は、葛城氏の勢力範囲内であり、別系統とされるが、なんらかの関係がありそうです。高皇産霊尊は、葛城氏の信仰対象でもあります。
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6】中臣氏(ナカトミシ)のちの藤原氏(フジワラシ)と卜部氏(ウラベシ)との関係とは
・中臣氏は、とくに鹿卜との関連が深く、大和朝廷は、亀卜(きぼく)にたずさわる人々を組織して、対馬・壱岐・伊豆の卜占者を三国卜部として、政治体制に食い込んでいったようです。三国卜部は、11世紀ころには解体したようですが、亀卜の伝統は細々ながらも根強く残ったようです。
・中臣氏の出自は、不詳な部分もありますが、【卜部氏の系譜は、「日本の苗字七千傑」 [5]】を参照下さい。中臣氏は、壱岐卜部氏と中臣氏は、雷大臣命(いかつおおおみのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)を同祖とする同族との理解です。中臣氏は、中臣鎌足から、後の藤原氏との系譜を辿り、藤原不比等につながります。
★★★まとめると★★★
 なぜ、月讀命が、記紀に必要だったかは、藤原氏(中臣氏)と同祖の卜部氏の祖先であり、藤原氏が必要とした状況はあったと思われる。しかし、その出自は、天皇に仕える身から、支配上、かつての名族・葛城氏(そして蘇我氏)の神である高皇産霊尊(たかみむすびのかみ)と同位であることが必要とされただろう。(それは、葛城氏からの簒奪と思われるが、)
 月讀命は海洋族の卜部氏の系譜。中国南部から半島を経由して対馬、壱岐へと繋がる系譜。己の出自を記紀に残す必要とその出自を隠す必要の双方があり、現在の記紀上の表現になったとも思われます。
 また、卜部氏は、当時、もっとも必要度の高かった卜占=占いの吉凶判断を業とし、重要な位置におり、その系譜を辿る中臣、藤原氏へ一部の支配を天皇家から移管してもらったことを正当化するための、アマテラスvsツキヨミの日の世界と夜の世界の分担支配の神話であったともいえます。
 卜部氏と葛城氏の関係は、現在は別系統とされるのが一般的な論でありますが、今後の調査により、秦氏、葛城氏系とは、大元で繋がっている可能性はあるとも考えていますが、次回以降の投稿を御期待ください。
by2310

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