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縄文時代~水運が集団間の交流を促進した?

縄文時代に運ぶと言えば、獲物を人がかついで運び,採取した木の実を抱えて運ぶ。そういうイメージをしていました。なので、船着場や丸木舟が縄文遺跡から出土すると、なんでこんなものが必要なの?と感じていました。
ところが、「水運」と捉えれば、それが一転します。
今日は縄文の水運という視点で、切り口投稿をしたいと思います。
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縄文時代の丸木舟(出土品でホンモノ)
byさーね
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加曾利遺跡、是川遺跡、原辻遺跡、上野原遺跡、浦入遺跡・・・・・様々な遺跡で船着場や丸木舟が出土しています。
特に、縄文前期の縄文海進が進んだ後の食物は、それまでの堅果類に加えて、魚類や貝類が急増。栄養摂取という点では、必要不可欠であり、それをいかに自ら定住する場へ運ぶか?ということが課題になったはずです。
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そこで、河川を利用した水運が発達していったのではないでしょうか?
概ね、この時代の縄文集団は川沿い台地等に定住の地を構えていたようです。このような状況で川を下れば、例えば現在でいう市や町くらいの間隔で集団がいるとして、海から遠い集団も川を下り、海辺の集団まで来て、貝を分けてもらうなどの交流が生まれても不思議ではないのではないでしょうか。
・例えば、加曾利遺跡では、170mに渡るドーナツ状の貝塚跡が発見されています。定住している集団だけでなく、他集団への供給地の役割を担っていたと考えても良いのではないでしょうか。
・まだ、この時代の舟は全てオールで漕ぐものであったため、川を上るには大変だったかもしれませんが、彼らは自然の摂理に精通しており、川の流れが比較的穏やかの時などを選び、上っていったと考えても良いのではないでしょうか。

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