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偽者の民主主義では国を統合することは出来ない!

こんばんは、カッピカピです。
 5回に渡って、古代ギリシャについて書いてきましたが、皆さん、如何でしたか?個人的には、スパルタのスパルタ振りに一番衝撃を受けました。しかし、そのスパルタでさえも、いつかは衰え、他のどこかの勢力にやられてしまいます。それが武力による序列原理で統合された社会の宿命でもあるのです。
 そんな力の序列原理の時代に、民主主義(しかもニセモノ)で国を統治できる訳がないのです。ギリシャシリーズ最終回の今日は、ギリシャ政治の腐敗過程についてレポートしてみたいと思います。
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■ペルシャを撃退、その外圧低下が内戦を招くことに・・・
 ギリシャの最大の外圧といえば、アケメネス朝ペルシャです。それは、西方に勢力を伸ばしてきたぺルシャのダイオレス一世が、小アジア(現在のトルコ)西岸イオニア地方のギリシャ系植民市を支配下に入れ、ギリシャ諸ポリスとの対立を深めてきたからでした。そして、紀元前500年、これら植民市がアテネからの援軍を受けて反乱を起こしたことを発端に、ギリシャVSペルシャの戦争がはじまったのです。
 ペルシア帝国から見れば、ギリシア世界はちっぽけなモノです。しかし、意外にも苦戦を強いられたのはペルシアでした。ペルシャのギリシャ本土遠征は3次に渡りましたがいずれもが失敗。第3回遠征時には、スパルタ軍を破るものの、アテネ軍の地の利を活かした海戦術が見事にはまり、撤退を余儀なくされます。
 こうして、イオニア諸都市は独立を回復し、ギリシャはポリスの自由と独立を守ることに成功したのです。
 しかし、これで、めでたしめでたし、となった訳ではありません。ペルシアという最大の外圧を失ったギリシャは、次第にポリス同士の抗争へと突入していきます。
■戦争による農業荒廃が市民を没落させることに・・・
 
 ペルシャに勝利したギリシャの諸ポリスはペルシャの再侵攻にそなえて、同盟を結びます。しかし、その同盟の盟主となったアテネのやり方に反感をもったスパルタが、自国を盟主とするペロポネソス同盟を他のポリスと結び、アテネと戦います。これをペロポネソス戦争と呼びます。
 この戦いで、アテネに代わり、スパルタが覇権を奪いますが、それも長く続かず、次にテーベというポリスが覇権を握ります。このようにギリシャ内部の戦乱が続き、ギリシャ世界全体が衰退していきます。
 まず農業が荒廃していきます。戦争で切り倒されたオリーブやブドウの木は次に苗木を植えても収穫できるまでには何年もかかってしまいます。
 この農業の荒廃により、農地を売る農業経営者が出てきて、財産を処分する市民がどんどん増えていきます。元々、オリーブやブドウを海外に売って穀物を確保していたギリシャにとっては、この農業荒廃は死活問題です。
■答えを出すはずの民会が機能せず、ポリスが衰退→マケドニアの支配下に
 この不測の事態に対し「答え」を出すのが政府、つまり民会のはずなのですが、第1回目の記事『ギリシャの民主主義を暴く!』でも書いたように、ギリシャの民主政治は、一部の金持ち市民だけが集まったいわば衆愚政です。ポリス全体のことよりも、目先の自分の利益を第一に考える政治では、このような社会問題を解決出来ないことは、火を見るより明らかです。
 次第にポリスは衰退し、バルカン半島北方にあった部族国家=マケドニアに支配されるようになります。
紀元前508年、アテネではじまった民主政は、わずか200年弱で幕を閉じることになりました。
 民主主義と言いつつも、実態はポリスの軍事力が物を言う力の序列原理の社会だったギリシャ。ペルシャという外圧があったからこそ、何とかまとまっていたが、その外圧が消滅すれば、各ポリスが序列の上を目指して戦いに走るのは、当然です。力の序列原理の時代に「王」という絶対的な基盤のない、ニセモノの民主主義では国を統治できるはずがないのです。

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