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地形で見る古代史~奈良って川がたくさん!

こんにちは- 😀 カナです
今回は
『古代の大和地方を想定するとき、当時の近畿地方の地形を頭に描かないと、ひとびとの実感=歴史事実に届かない仮説になってしまう・・。』
リンク [1]より
という言葉に倣って、奈良の地理を追究します
なんで古代の豪族って奈良に集まったん 🙁
すごい不便そうやのに…
という人はぜひ!この記事でスッキリしてください 😉
奈良って実は資源も豊富で交通もべんり~な場所だったんですよ
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ではまず、この力作の地図を見ていただきます
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古代奈良の地図 [5]
なにか気が付いたことはありませんか
・領地が河沿いにある
・古豪族の領地は山沿いにある

などに気づくと思います
ではこれらのなぞを解明していきましょう 😀
領地が川沿いなのはなんで
このなぞを解く為にもう一度地図を見てください
よーくみると、大和川・淀川・紀ノ川全部がつながっていることがわかります
大和川の沢山の支流から、水銀生産地がある宇陀や、大阪湾にも行けるんですね
つまり、この大和川の支流は、交通の要所だったんです
そして、この大和川の支流を押さえることで、それぞれの豪族は交易権を手に入れることができたんです その中でもいち早く奈良に進出し、この交易権を手に入れることが出来たのが葛城氏です
だから先乗りすることで、天皇にも匹敵する力を持っていたんですね~
山沿いに領地をつくったのはなんで
では2つ目の、なんで古氏(葛城・巨勢・紀・平群)の領地は山沿いにあるのか、というなぞです
実は、豪族の生産基盤である水田を開発する為だったんです
えー 山で水田なんか作れるわけ無いじゃん と思ったあなた
実は、初期の水田は山麓で作られていたんです
山麓に水田をつくったのはなんで?
この山麓の水田のことを沢田・谷田といいます
なにが平地の水田と違うのでしょうか

沢田・谷田と湿地帯水田の違い
沢田・谷田
開墾地    湧き水が出る山沿いの山麓のやわらかい土地
開墾方法   やわらかい山間部の沢や谷から、階段状に何段か水田を取る
必要なもの  湧き水
メリット    川からアクセスでき、陸路が必要ない
       洪水被害がない
デメリット  湧き水が必要なので、土地が限られている
湿地帯水田
開墾地    下流域の平野
開墾方法   河川を治水して水田開発
必要なもの  金属製の工耕具
メリット   川からアクセスできる
       水田を広く取れる
デメリット  洪水などの水害を避けるための大掛かりな治水工事が必要、排水の問題を解決する土木工事が必要

るいネットより [6]
以上から、湿地帯で水田を作るのには、鉄器が必要で、洪水の被害の可能性もあることがわかります。
一方で、沢田・谷田は洪水の心配はいらない、木製の道具で作れることがわかります。
金属製の工耕具が十分に発達・流通していない古代では、湿地帯で水田を作るのは殆ど不可能であることが分かります。
また、沢田・谷田は排水の面でも有理だったようです
湿地帯水田は、大規模な土木工事をしないと、排水の問題を解決することが出来ませんが
沢田・谷田は傾斜にあるので、高低差を利用して排水することができます。
葛城・巨勢・紀・平群の古氏はこのような地形にいちはやく目をつけ、生駒山~葛城山の東側に領地を構えたのです
そして、金属製の工耕具が発展し、それまでは沼地だった大和川の支流も乾いてくると、和珥氏・物部氏・大伴氏・羽田氏・巨勢氏・などの新しい豪族、そして天皇家が領地を構えました
奈良ってどんなところだった
実は、奈良盆地って、
山麓や盆地の水田 宇陀の水銀や砂鉄などの鉱物資源 などの生産基盤があって
またそれらを運び出し、交易をする為の河川の流通網もある、古代の中心地としてぴったりな場所だったんですね~
古代豪族にとっては生産・流通すべてがある奈良は魅力的 な場所だったんでしょう
神武天皇が遠回りしてまで、来たかった意味がちょっと分かるような気がします 😉
ではでは、今回も最後まで読んでいただき
ありがとうございました~~ 😀

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