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「十字軍の遠征」の目的(表)

こんにちは
かなり暑くなってきましたね。こんなときは、涼しい映画館に行きたくなりますね。
「天使と悪魔」っていうキリスト教がらみの映画がヒットしていますし…
ただ、その前にここでキリスト教の予備知識を身に着けていかれるとより一層楽しめること間違いなしです
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「十字軍の遠征」って知ってますか?
「○○戦争」とかいう名前じゃなくて、ちょっとユニークな名前ですよね 。
名前はかっこいいけど、これっていったいなんだったんだっけ?
遠征と聞くと、真っ先に宿泊先と試合と温泉が頭に浮かぶ純朴な体育会系で
世界史の時間は上の空だった私には、名前から推測するしか術はありません 🙄
「軍」だし「遠征」なので、遠くにいる敵を征伐しにいったということになり、「たぶん人殺しがあったんだろう」ということはわかります。
あとは辛うじて、「キリスト教がらみで、何回か遠征があって、何回か失敗してた」ということはうっすらと記憶に残っています。
今回はこんな曖昧な記憶の「十字軍の遠征」の目的と結果について追求していきたいと思います。
十字軍の遠征は、1096年から1270年頃までのおよそ170年もの間に、歴史に残っているもので7~8回、細かいのも入れると十数回?も行われました。
その目的はというと、『中世に西ヨーロッパのキリスト教徒諸国が、聖地エルサレムを異端であるイスラム諸国から奪還すること』
というのが、おそらく教科書にも載っている表向きの目的です。しかし、いろいろ調べてみると実際は違う目的があったらしいのです。
第一回目は表向きの目的について、第二回目は裏側の目的(とその結末)について書いていきたいと思います。
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中世の地中海沿岸は、大きく分けて以下のような国に分かれていました
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イスラム教は、7世紀前半に交易都市メッカの商人だったムマンマドが、40歳頃に教祖となり、雑多で血の気のおおいアラブ人集団を、信仰によってまとめるため(つまり、イスラム教徒(ムスリム)の国をつくるため)に作ったものです。初めはエジプトの西半分ほどのものだったイスラム共同体ですが、その後、西南ユーラシアと北アフリカまで広がって一つのウマイヤ朝となり、エルサレムは638年以来、イスラム教徒によって占領されるようになりました。当初イスラム教徒は貿易の利を考えて、キリスト教徒の巡礼を妨害しませんでしたが、1071年にエルサレムを占領したセルジューク朝は東方貿易を独占しようとキリスト教徒を迫害し、さらに小アジア全土をほぼ手中におさめ、キリスト教諸国、中でもイスラム教諸国に接していた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を脅かすほどになりました 😡
そこで、11世紀後半、東ローマ帝国の皇帝が西ローマ帝国の教皇に援軍を要請したのがきっかけで始まったのが十字軍の遠征なのです。
ここまで見た限りでは、表向きの目的は嘘にはなってないようですね
次回は、裏側の目的とその結末です。ポイントは、援軍を要請された東ローマ帝国がどうやって十字軍を集めて遠征させたのかという点でしょうか
>参考サイト
・http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history10.html
・http://www.nazoo.org/cult/crusaders.htm
・http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou18.html

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