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新大陸での拡散、そして農耕へ・・・。

前回まで、新大陸に人類が渡ってきた過程について調べてみました。
その後新大陸の隅々まで拡散して行った人類は、生産様式も狩猟採集から農耕へと変わっていきます。
今日はその生産様式が変ってゆく過程、農耕が始まったきっかけは何か、その原因は何だったのか、についてみてみたいと思います。
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新大陸において人類が南下拡散して行ったのは、氷河期の終焉→温暖化と、それによってそれまで足止めをしていた大氷床の後退によるものでした。
その後、それまでマンモスなどの大型動物を追って食糧としていた人類が生産様式を変え、新大陸において独自の文明を起こすことになります。
このきっかけは何だったのでしょうか?
旧大陸と新大陸でほぼ同じ時期に文明が起きているということは、両者において同じ時期に同じような外圧が働いていたとは考えられないでしょうか。(世界レベルの外圧=世界レベルの気候変動?)
以下、「古代文明と気候変動」(ブライアン・フェイガン著)からの抜粋で、要点をまとめてみました。
□寒冷期
 人類の適用様式は「移動」。「移動」と「柔軟性」が適応の要であった。
 exp.→獲物となる動物を追って移動し、干ばつや洪水にも適応してきた。
   →狩りで男たちが命を落とせば、残った女たちは他の集団に加わる=柔軟性
 
□温暖化がもたらしたもの
 大型動物の絶滅(森林化=牧草地の後退)→動物性食物中心から植物性食物へ
 採集:食糧の長期保存が可能。
     しかし保存の為の加工をすることで一定期間その地に留まることになり、同時に適応の要だった移動力が大きく損なわれる
(但しこの時期にいきなり狩猟から全面的に採集のみに代わったわけではなく、両者は並存していたものとおもわれます。ただし、保存の為の加工という、手間隙の掛かる作業により、保存場所から長く離れることが出来なくなります。)
   移動が少なくなると、集団で固まっての定住生活。→食料の安定供給から人口増へ
   
※気候的には最終氷期の終焉以降、北アメリカ大陸の大氷床の縮小→融水湖の生成→大氾濫した融解水が大量に大西洋へ注ぐ→メキシコ湾流(暖流)の停止→再寒冷化(=ヤンガー・ドリアス期)となり、この影響は全世界的に広がったようです。
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(「北極側氷河の再拡大域」(Wikipedia)より)
以降、長期(約1000年間)の乾燥化をもたらすことになります。
□寒冷化と干ばつの影響(環境収容力の低下)
 森林限界が後退。(採集果実が減る)→野草の分布域拡大
 自然の収穫を増やす為、野草の栽培を始める。→農耕の始まり
 ※イリノイ大学の作物学者ジャック・ハーランは、小さな家族集団が人手だけで3週間集めたヒトツブコムギで、1年は持ちこたえられることを実験で証明して見せた。
つまり、それまでの動物性食糧でなくとも、わずかな穀物で生きてゆけることがわかったということです。
  さらに、野生の自生地よりも耕作地の方が多くの収穫が得られることから、耕作地を拡大。
 ⇒ヤンガー・ドリアス期の終了、再温暖化と共に本格的な農耕へ
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このようにして、気候変動により、具体的にはいったん牧草地の縮小に伴い大型動物が絶滅してゆき、それまでの動物性食物中心から植物性食物への切り替えの必要と、更なる乾燥化によって野草や自生する穀物などを加工・保存することで、飢えを凌ぐ術を身につけた人類が、採集から栽培へと切り替えることで、自らの手で食糧を作り出すことに成功していったという流れのようです。
またこの間に、動物も同じく家畜化することで、安定した食料確保の技術を身につけて行ったようです。
上記は具体的にはヨーロッパ及び東地中海地方における内容ですが、この気候変動が全世界的に起きていたことを考えると、同じような状況が新大陸にも起きていた可能性は十分考えられます。
またさらに、農耕開始以降の定住の様子から、新大陸における集団拡大課程の事例が以下のように示されています。
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□南カリフォルニアの例;
最終氷河期(約1万2千年前?)からBC.2000年前頃までは気候の最適期だったらしい。
人口増→採集物の保存の為の加工→そのため定住化→寿命延長=人口増が加速
定住可能な限定地域に集団密集→集団(部族)間の調整役必要→能力のある者の下で組織化。
※定住地は、分水界、短い海岸線、枯れない湧き水の出る場所などに限定   
□マヤ:低地の厳しい環境に適応した文明(紀元200~800古典期)
大きな川が無い=低地の干ばつ対策が必要:
→貯水の必要→いくつかの貯水池=極小分水界→
∴極小分水界を中心とする小規模な都市国家となる。
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今後はもう少し上記の農耕開始と定住した土地の状況、周辺部族同士の関係と、それらによる外圧状況の把握から、どの様に、集団拡大→都市化していったのか、その因果関係を詰めていきたいと思います。

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