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ローマ帝国の国教となったキリスト教の本質

こんにちわちわわです。
ローマ帝国の国教となったキリスト教ですが、今回はその本質について触れてみたいと思います。
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ユダヤ教が生活の規律を重んじ、教育による能力強化に活路を見出し、
イスラム教が掠奪部族を統合するために規範を特化し国家の法律にまで昇華させたのと異なり、
キリスト教は戒律の厳しさを忌み嫌い、現実を捨象して、救いをあの世に求める宗教です。

奴隷や貧困層から拡大していったことからも、もともと権力とは無縁のはずでしたが、キリストの教えをあらゆる人に伝え知らせなければならないとしたことから、布教は広範囲に及び、しかもきわめて熱心なものとなりました。
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以下 The Purple Chamber of World History http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history10.htmlさんより引用です。
 熱心な布教活動はしばしば他宗教からの嫌悪と迫害をまねいたが、キリスト教側は信者の組織化と理論武装でこれに立ち向かった。信者は難解な経典を読んだり面倒な義務を守ったりすることを求められないかわりに、「教会」という団体に属し、「聖職者」(司教、司祭など)の指導に従わねばならないとされた。そして、聖職者は教義を一本化し、思弁の限りをつくして論敵に挑んでいった。
 キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には従順そのものだった。戒律の遵守などの「行為」ではなく神を信じる「心」こそが重要であり、「救い」はこの世ではなく、死後にもたらされるとされたので、体制を変革するような意図を持たなかったのである。むしろ、布教のためには権力を肯定し、これに接近することが効果的だと見抜いていたらしい。
 とくに、ローマ帝国が危機にみまわれ、従来の諸宗教が動揺した3世紀頃から、キリスト教は権力機構の内部に改宗者を増やしつつ、「帝国の精神」の乗っ取りをめざすようになる。曲折を経ながらも、この戦略は功を奏した。392年、キリスト教は帝国唯一の公認宗教の座をえるにいたった。
 その背景には、ローマの支配者側が「権力の正当化」を求めていたという事情もある。宗教的寛容が帝国統治の原則ではあるが、帝国のサイズにあわせて広範囲に信者を持つ宗教があらわれれば、それに権力を支えてもらったほうが得策だと考えてもおかしくない。こうして、帝国政府がキリスト教に便宜をはかる一方、教会は皇帝を「神の代理人」とみなして統治に協力するという、相互依存関係ができあがったのである。
引用以上
権力を手に入れたキリスト教はここから豹変します。様々な宗教や思想が共存していたローマの精神風土は一変し、キリスト教会は権力を笠に着て多くの宗教を迫害しただけでなく、内部の対立者を「異端」として弾圧することもいとわなかくなりました。
現実を捨象し、死後の世界に安住を求めるこの欺瞞観念は、大衆を骨向きにし、権力を肥大化させるのには好都合な観念で、教皇間の権力闘争をを激化させてゆきます。

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