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初期キリスト教における教会の存在

こんばんわ
【チーム・宗教】は引き続きキリスト教を追求中
世界最大の宗教と言えるキリスト教の歴史を紐解くことで、どのようにキリスト教が勢力を伸ばしていったのかが分かるのではないでしょうか
もしかしたら、人心を収束させたポイントも見えてくるかも・・・
さて、今回は初期のキリスト教における『教会』について
実は前回のパウロの回心 [1]で書いた内容とも被るところがチラホラ
教会って何?教会って何してたん?布教と教会の関係は?
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『教会』と言うと、十字架のある建物を想像する方が多いのではないでしょうか?
実は、キリスト教では、信徒の群れを『教会』と言うのです。
エルサレムに最初の教会(初代教会)が誕生したのは、イエスの死後のペンテコステというユダヤ教の祭りの日でした。
その日、イエスの弟子たちが、エルサレムのある家に集まっていると、聖霊(神の霊)が一同の上に降りました。すると弟子たちは、後の宣教の拡大を先取りするように、世界中のあらゆる国の言葉で神の偉大な仕事を語りだしたのです。これが「聖霊降臨」といわれるものでキリスト教会の誕生をしるす象徴的事件とされています。
この初代教会はユダヤ人の信徒を中心とした集団でした。(これを原始キリスト教団と呼びます)
しかし、この教団内にも対立がありました。ヘレニスタイ(ギリシャ語を話すユダヤ人)とヘブライオイ(ヘブライ語を話すユダヤ人)の対立です。
対立原因は、単なる両者の言語の違いではなく、ユダヤ教の伝統に対する態度の違いだと考えられています。
どういうことか?
ヘブライオイはユダヤ教の特徴でもある律法(行い・行動)を重視していたのに対し、ヘレニスタイはそれらの伝統から自由な立場を取りました
さて、そうなるとこのヘレニスタイ、ユダヤ教から激しい迫害を受けます。その結果、ヘレニスタイ達はエルサレムを離れていきます。そして他地域で布教していった結果、キリスト教はパレスチナ以外の地域に広がっていき、異邦人のキリスト教徒が誕生していきました(ここで言う異邦人とはユダヤ人以外の人。神との契約によって律法を与えられたとするイスラエル人の子孫は他の民族をそう呼んでいました)。
この布教時の有名人が以前扱ったパウロです。彼は、「神の愛」の思想を広めました。ユダヤ教のように「行い」で救われるのではなく、「神の愛」を信じること(=信仰)によって救われる、と説いたのです。この「律法からの自由」は多くの信徒を獲得する上で、非常に重要なものでした。
一方、ヘブライオイはエルサレムに留まり続け、そこを拠点として初期キリスト教の中では権威をと持ち続けました。
が!
それも紀元66年に起きたとされるユダヤ戦争でエルサレムは陥落し、壊滅的な打撃を受けることとなります。これによって、政治的・宗教的中心を失ったイスラエル民族は国家と民族の基盤を失い、亡国の民となり世界流浪の旅が始まりました。エルサレムにあった初代教会も同様に致命的な打撃を受け、キリスト教世界の中心としての立場を失うこととなりました。
その後、発展していくキリスト教の指導的な役割はヘレニスタイ達が広めたヘレニズム異邦人教会に譲ることとなりました。こうしてユダヤ教と袂を分かったキリスト教はその勢力を広げていくこととなりました。
信じるだけで救われるという解釈は、誰もが教徒になれるという懐の広さという側面を持っていたこともあり、厳しい生活にあえぐ人たちにとっては救いの宗教なのでした 😡

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