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ユダヤ人が活躍できる場、それは立憲君主制の国である

 こんばんは、カッピカピです。
 今日は、世界初の中央銀行である「イングランド銀行」
にスポットライトを当ててみたいと思います。
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 サー・ジョン・クラパムの『イングランド銀行の歴史』によれば、イングランド銀行の株主の多くは、スペインとポルトガルのユダヤ人であったとされており、やはりイングランド銀行の設立には、ユダヤ人が大きく関わっていたと考えられます。
 このことは、今の金融社会を牛耳っている国際金融資本家にユダヤ人が多いことからも、合点がいくところです。
 しかし、これまで他民族から迫害され、追放され続けたユダヤ人が、政府と密着する中央銀行と深く関わることが出来たのはなんでなのでしょうか?
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 キリスト教社会で迫害され続けたユダヤ人は、土地を持つことを制限されただけでなく、ほとんどすべての職業に就くことが禁止されました。
 そこで、ユダヤ人にとって唯一残された職業が、キリスト教徒がやらない利子を取り扱う職業=高利貸し(質屋)や金塊の保管人、両替商(貿易決済業)であったことは、既に当ブログで何度か書いてきました。
 迫害と追放(→移住)の歴史を繰り返してきたユダヤ人にとって、その離散状態を生かすことができる、貿易決済業は正に天職であったと思います。
 そして、貿易決済業や両替商に特化したユダヤ人が、為替技術を発達させ、さらに保険業や、株式や債券の考え方を編み出していきました。
 しかし、その優れた金融技術を活かし、ユダヤ人が冨を築けば築くほど、迫害に拍車がかかり、終いには追放されてしまいます。
 つまり、ユダヤ人にとって、自らの生きる道である金融業を発展させればさせるほど、自らの立場を危うくすることになるのです。
 そんなユダヤ人とって、思う存分、その力を発揮できた場がオランダであったと考えられます。それは、昨日のちわわさんの記事 [3]にあるように、オランダは立憲君主制の国で、王の力がそれほど強くなく、国をあげてのユダヤ人に対する迫害が行われなかったからだと思います。
 そして、オランダの次に活躍できる場として台頭してきたのが『イギリス』でした。
 それは、イギリスが、国王チャールズ一世の処刑からはじまった、名誉革命の末、立憲君主制となったからだと思います。
  
 市場社会の象徴とも言える『株式会社』と『中央銀行』。その二つの世界初が、ともに立憲君主制の国で生まれたのは偶然ではなく、ユダヤ人が迫害を恐れずに金融業を発展させることが出来た所以ではないかと思います。

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