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古代史を研究する意味

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ないとう@なんで屋です。
山之辺の道で遺跡めぐり [1]の記事を書いてくれているカナちゃんと一緒に、半年に亙ってネットサロンで『古代日本史の研究』を続けてきました。
その成果はコチラ⇒古代史年表 [2]
[3]


1970年以降、何度も繰り返されてきたバブル発生とその崩壊、そして今回のサブプライム問題→リーマンショックに代表される借金経済バブルの破綻は、私たちの中に現行の経済システムへの不信感を発生させてきました。そして、この不信感は、経済問題の歴史的追求に繋がってきました。
現行の経済システム、いわゆる(金融)資本主義は、単に「金融家」の存在だけが資本主義を支えてきたのではありません。欧米の観念体系(≒個人主義思想、近代思想)や塗り重ねられてきた社会構造が資本主義を支えてきました。
特に、個人を利益蓄積に駆り立ててきたのは、キリスト教(カトリック)から派生したピューリタントの教義であり、金融資本主義の大元を辿れば、キリスト教に行き着いてしまいます。
この西洋的社会構造や観念体系に支えらてきた資本主義が、終焉を迎えようとする一方で、日本の可能性に着目する人が増えています。資本主義社会(市場社会)の隆盛の中あまり注目されることはありませんでしたが、資本主義に代わる社会のあり方を考える上で、今までの日本人のあり方に注目が集まり始めてきました。
日本人の可能性の中でも特に注目が高いのが、認識論(認識手法)の違いです。しかし、一神教世界の西欧と、多神教(八百万の神)の日本という理解だけでは、今後の日本人の可能性としては不十分です。人間の本質たる共同性に、略奪闘争の有無が大きく関わっている(日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い [4])ことは疑う余地がありませんが、残存する”共同性”を使って日本はどのような社会を作り上げてきたのかを具体的に追求し、今後の可能性を探ってみようとして始まったのが、『古代日本史の研究』であり「日本人の起源の追求」でした。
(日本書紀の捏造とされる)天皇の万世一系概念も、「そのような概念を打ち立てて何をしようとしたのか」「なぜ、その必要があったのか」、そして「後世の人たち(もちろん私たちも)、どうして万世一系概念を受容してきたのか」を考えれば、日本独特の社会システムが持つ意味が鮮明に分かり、そして日本人にはどのような社会システムが構築可能なのかが見えてくると考えています。
私は別の会議Gでも「なぜ、国会は機能しないのか?」という問題意識から、近代国家成立の歴史をローマ帝国にまで遡って追求してきました。 [5]
西洋と東洋で大きく様相は異なりますが、現在の社会問題を捉えたとき、それを「なんでこうなったんだろう?」と原因を考えるということは、結局は歴史を遡り、その構造を明らかにすることなのだという部分は共通しています。昨今の歴史ブーム、特に歴史を物語として(ストーリーとして)語る書物への人気は、この潮流を反映しているように思います。
現代社会問題の「なんでだろう?」の答えは、歴史構造の中にこそある。このことを常に意識しながら、引き続き日本古代史を追求していきます。
歴史探求の姿勢 [6]
古代史年表の作成を通じて感じたこと(ネットサロン運営のコツ) [7]
(新しいテーマを設定して、追求して行こうと思っています。「こんなテーマを追求して欲しい!」というものをコメント欄に入れていってください♪)
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