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イスラムの夜明け ~メッカと国際情勢~

こんにちは
【チーム宗教】です 😀
先日のMITSUKOさんの記事 [1]に引き続き、イスラム教の背景となる、当時の国際情勢や部族の内情について調べてみました
今回のテーマは大きく3つ
①イスラーム以前のアラビア半島はどんな感じだった?
②当時の国際情勢は?なんでメッカは繁栄したの?
③イスラム創始者のムハンマド(マホメッド)の家系について
ここからイスラム教が「商人の宗教」と呼ばれる所以がさらに分かります
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さて、さっそくテーマ別に見ていきましょう
①イスラーム以前のアラビア半島はどんな感じだった?
イスラム教創設以前の時代のことを「ジャーヒリーヤ時代」と言います。「ジャーヒリーヤ」とは「無知」とか「無明」を意味します。ちなみにもう少し厳密に定義すると、イスラームが誕生する前の約1世紀間を指します。
ジャーヒリーヤ時代は「部族社会」における抗争の時代でした。部族内部の小さな氏族集団同士が争うときもありましたし、部族間抗争と言われるように、比較的大きなレベルで争いが起こるときもありました。また、部族同士で連合を形成して大抗争が起こることもありました。
抗争は、放牧地を巡る領域争いや水場の支配権争いを引き金にして起こったようです。この時代は慢性的に戦争が行われており、戦利品収入が生計手段の一部となっていたとも言われています。
どうやら昔から略奪が常態化した部族だったと言うことができそうです
②当時の国際情勢は?なんでメッカは繁栄したの?
5、6世紀の西アジアには、ササン朝ペルシアとビザンツ帝国という2大帝国がありました。東にササン朝、西側にはビザンツ帝国があり、この2つの帝国がちょうどチグリス川とユーフラテス川の間、北はアルメニアからシリア砂漠に向かうラインの辺りで拮抗していました。
なんと言っても当時の交易路といえばシルクロード。
東と西を結ぶ一大交易路です。しかし、6世紀後半から7世紀にかけて、先の二国の争いが激化するにつれ、そのシルクロードが通れなくなってしまったのです。また、ペルシア湾からユーフラテス川を経由して北上するルートも衰えていきます。
そこで、紅海を利用して大きく迂回するルートが強化されました。アラビア半島南端のイエメンからアラビア半島西岸を通ってガザに抜けるというルートでした。そこで隊商(キャラバン)貿易が盛んになっていきました。実は、このルートの途中にあったのがメッカでした。メッカはこの内陸ルート上の交易によって繁栄していったのです。
③ムハンマドの家系について
ムハンマドの家系図を遡ると、クライシュという人物に行き当たります。そこからこの家系をクライシュ族と呼んでいます。さて、このクライシュ族はもともとメッカの東側の丘陵地帯で遊牧生活を営んでいたと言われています。
ムハンマドの5代前のクサイイという人物の時代(5世紀末頃)に、メッカに進出、定住化したと言われており、南アラブ系の人々をカーバ神殿(神の館という意味)から追い出し、支配権を握りました。メッカは商業都市かつ宗教都市として知られており、多くの巡礼が集まり、巡礼に伴っても商取引が行われていました。このようなメッカがヒジャーズ地方(アラビア半島西岸地方の呼び名)における交易の中心地になったのは、このクサイイの時代です。
その後、ムハンマドの3代前のハーシムという人物が出てきます。実はムハンマドを家系的に表現すると、「クライシュ族のハーシム家のムハンマド」になるんだそうです。それは、このハーシムという人物がメッカの繁栄に多大な貢献をしたためなのです。
彼の時代に、先述したイエメンからシリアのガザに向けての南北の交易ルートが確立され、メッカは国際交易レベルでも注目される商業都市に発展しました。彼はビザンツ帝国から商業特権をもらったり、ガザに拠点を設けたりしました。ちなみに、当時アラブの間で、ガザは「ハーシムの町」と言われていたようです。
南北の交易ルートが確立され、そこの支配権を持ったことから、クライシュ族の商人達は定期的にキャラバンを編成することが可能になりました。メッカの大キャラバンはこのハーシムの時代から行われ、それがメッカを飛躍的に繁栄させました。
夏には北に向けたシリアキャラバン、冬には南に向けたイエメンキャラバンが町を挙げて編成されたようです。大規模なキャラバン隊では、2500頭のラクダを連ね、商人を除いて護衛と付き添いだけでも300名くらいを擁し、香辛料、革製品、インドや東南アジアからの物品、アフリカの金、象牙、奴隷などが運ばれていった、と言われています。
そういった下地が揃った上で、ムハンマドが登場し、イスラム教の創設に繋がっていくのです。
この歴史的な流れをおさえると、イスラム教が商人の宗教と呼ばれるのも納得です

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