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国家統合と神社の歴史

Posted By staff On 2009年2月16日 @ 6:13 PM In 弥生ー律令時代の集団統合 | 2 Comments

神社には長い歴史がありますが、歴史的には紆余曲折を経て、現在の形・体制に至っています。
特に、現在のような神社体制が確立する過程は、日本という国家が誕生する過程とほぼ重なってきます。
国家体制の中に「神社」という仕組みが存在する以上、国家統合と神社は切っても切り離せません。そこで、今回は国家統合と神社システムの歴史を追ってみます。
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【祖先祭祀の場が古墳から神社へ】
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弥生時代から古墳時代にかけて、朝鮮半島からの氏族集団が墳丘墓・古墳で祖先祭祀を行っていた。特に、畿内~瀬戸内海地方を中心に、文化的交流を持つ古墳が築造され、次第に大型化していく。しかし、古墳は外部勢力への勢力誇示としては機能するが、支配圏を拡張していくことには限界がある。そこで、祖先祭祀の場を古墳から神社へと移し、神社(ネットワーク)による統合を図り始める。氏族集団の規模や支配範囲が拡大するにつれ、枝分かれした神社が各地に設立されていった。( [4])
【東国氏族の象徴=伊勢神宮】
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大和朝廷においては、その支配の象徴は依然として大型古墳であったが、東国氏族出身で大和朝廷の頂点に立った第26代継体天皇は、東国を代表する神社(=東国氏族の頂点)として伊勢神宮を設立し、神社ネットワークの頂点においた。大和朝廷と東国氏族勢力との融和・結託が一旦成立し、以後の天皇は大和朝廷を頂点とする中央集権国家作りにまい進する。そのため、舒明天皇~天智天皇までは、東国との関係を求めず、大型古墳を築造し続けることで、権威を誇示し続けてきた。( [6])
【天武天皇による伊勢神宮の「再発見」】
しかし、この大和政権による中央集権国家作りは、東国氏族勢力の潜在的な反感を買うことになる。この反感を持った東国氏族勢力と手を結んだ大海人皇子(天武天皇)が天智天皇系から王権を奪取する(壬申の乱)。東国氏族勢力の後ろ盾を得て皇位についた天武天皇によって、東国氏族勢力の象徴としての伊勢神宮が「再発見」された。続く持統天皇朝には、国家祭祀の頂点(神社ネットワークの頂点)としての伊勢神宮が確立される。
【仏教ネットワークでの統合を目指した聖武天皇】
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奈良時代を通じて、東国勢力との融和の象徴しての伊勢神宮の地位も確立されていたため、大和朝廷と東国勢力の緊張関係も緩和し、大和朝廷における戦争外圧も低下していく。
(戦争)外圧が低下する中にあって、「あらぶること=自然災害を起こすこと」でおのれの存在を示し、集団を統合してきた”神社”に限界が訪れる。そこで、(民衆が支持しやすい仏教での統合が図られた(仏教では、”現世利益”を保障する)。この仏教ネットワークによる統合を目指したのが聖武天皇で、東大寺を頂点とする国分寺ネットワークにより全国的な(宗教的な)支配の強化を目指した。これは天武天皇以降、天皇への権力集中が進んできたことを示している。( [8])
【神社の変質】
この仏教の広がりと共に、神仏習合が進む。神のあり様も変質し、現世利益を保障する神社が都周辺に設立されていく。( [9])
加えて、新規開拓田の増加により、各地に(農耕祭祀を中心とする)新しい神社が設立されていく。( [10])
神社の数が増えたことによって、旧来からの神を祀る氏族と新しい神を祀る氏族との間で対立が先鋭化していく。このため、朝廷は神社ネットワークを再構築する必要に迫られ、(神社間の対立を止揚・統合した)神階制度導入へと至る。
【「血統」のみで皇位についた桓武天皇】
一方、奈良時代を通じて、藤原氏を初めとする氏族間の闘争と、それに伴う政変劇が繰り返されていた。そして、とうとう天武天皇系の子孫が途絶えたため、氏族間での話し合いの結果、天智天皇系の子孫が天皇位に担ぎ出される。何らの基盤を持たず、担ぎ出された光仁天皇にはほとんど実権がなく、氏族(貴族)の力が急速に高まった。
この光仁天皇とその息子・桓武天皇が、天皇たるゆえんは、天皇としての資質などではなく、「血統」のみであった。そして、「血統の維持」のみを期待された天皇に替わって、律令制度における氏族と官僚が、政治の実権を握ることになる。
【平安遷都の本当の意味】
[11]
この「天皇の地位の見直し」に伴って、神社体制も大きく見直された。天皇の地位と実権を支えてきた大和古来の氏族(の神社)と距離をとり、新しい神社体制を模索する。今まで天皇に集中していた王権を氏族ごとに分担したことに合わせて、王権の構成要素ごとに神社も配置される。
この体制を確立する為に、平安遷都は行われた。そして、桓武朝では血族的に新しい「皇族」を作り出そうとし、現代にまで至る『万世一系』概念が確立される。( [12])
このように、神社は天皇のあり方と、政治制度のあり方に大きく左右される存在である。これは、民衆の日々の行動と政治のあり方をどのように繋げ統合を維持するかという問題を、『神社』という仕組みを使って解決し続けてきた結果とも言える。
(氏族)集団を統合するために設立された神社も、最終的には国家を統合するための仕組みとして発展してきた。近世・近代に至っても、この構造は変わっていない。
内藤@なんで屋でした。 [13]


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