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日本の風土が蘇生させた仏教文化~和辻哲郎「古寺巡礼」より

Posted By urara On 2009年2月17日 @ 11:05 PM In 弥生ー律令時代の集団統合 | 4 Comments

大正7年5月、20代の新進気鋭の哲学者が、奈良に遊び、唐招提寺・薬師寺・法隆寺・中宮寺の印象を熱く記した。度重なる印刷に紙型が摩滅して改訂の必要が生じた、というくらい流行ったらしいが、戦時下の情勢で絶版。「近く出征する身で生還は保し難い、一期の思い出に奈良を訪れるからぜひあの書を手に入れたい。ついては写したいからしばらく貸してくれ」という要望も1,2で止まらなかったという。
さて、今回は、コーヒーブレイク。
著者自身、「若さの情熱」が書かしめたと恥じらうほど熱い、しかし彼の、後世の思考の原型があるとも言われる和辻哲郎の名著、「古寺巡礼」を紹介します。
大作です(たぶん)。
しかもマジメです(メイビー)。
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法隆寺壁画に日本人の痕跡を認める!(略)
日本においてこれをかいた人は外国人であったかも知れない。
しかし外国人であるならば、それは唐において容れられず、日本にその適応する地を見いだした人であろう。日本人はこの天才によって目を開かれ、そうして自己の心を表現してもらったように感じたのであろう。この画の作者もまた推古仏を愛する素朴な心を尚び、その心に投ずることを心がけたのであろう。
インドの壁画が日本に来てこのように気韻を変化させたということは、ギリシアから東の方にあって、ペルシアもインドも西域もシナも、日本ほどギリシアに似ていないという事実を関係するであろう。気候や風土や人情において、あの広漠たる大陸と地中海の半島はまるで異なっているが、日本とギリシアとはかなり近接している。大陸を移遷する間にどこでも理解せられなかった心持ちが、日本に来て初めて心からな同感を見いだしたというようなことも、ないとは限らない。
シナやインドの独創力に比べて、日本のそれは貧弱であった。しかし己を空しゅうして模倣につとめている間にも、その独自な性格は現われぬわけには行かなかった。もし日本の土地が、甘美な、哀愁に充ちた抒情的気分を特徴とするならば、同時にまたそれを日本人の気禀(きひん)の特質と見ることもできよう。
「古事記」の伝える神話の優しさも、中宮寺観音に現われた慈愛や悲哀も、恐らくこの特質の表現であろう。そこには常にしめやかさがあり涙がある。その涙があらゆる歓楽にたましいの陰影を与えずにはいない。だからインドの肉惑的な画も、この涙に遭遇せられる時には、透明な美しさに変化する。そうしてそこにギリシア人の美意識がはるかなる兄弟を見いだすのである。


後年、「思索のひと」として生きた著者が、事実認識をすっ飛ばして、思いっきし想像の翼を広げて書かれた文章は、不思議とひとを引きつけます。若かった和辻は、観念に置き換えるという過程を経ずに、潜在思念に忠実な表現に徹したのではないでしょうか?彼をしてそうさせるものが、古都の仏教芸術には宿っているということなのだと思います。
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この像は本来観音像であるのか弥勒像であるのか知らないが、その与える印象はいかにも聖女と呼ぶのがふさわしい。しかしこれは聖母ではない。母であるとともに処女であるマリア像の美しさには、母の慈愛と処女の清らかさとの結晶によって「女」を浄化し透明にした趣があるが、しかしゴシック彫刻におけるように特に母の姿となっている場合もあれば、また文芸復興期の絵画におけるごとく女としての美しさを強調した場合もある。それに従って聖母像は救い主の母たる威厳を現わすこともあれば、また浄化されたヴィナスの美を現わすこともある。
しかしこの聖女は、およそ人間の、あるいは神の、「母」ではない。そのういういしさはあくまでも「処女」のものである。がまたその複雑な表情は、人間を知らない「処女」のものとも思えない。と言って「女」ではなおさらない。ヴィナスはいかに浄化されてもこの聖女にはなれない。しかもなおそこに女らしさがある。女らしい形でなければ現わせない優しさがある。では何であるか。―慈悲の権化である。人間心奥の慈悲の願望が、その求むるところを人体の形に結晶せしめたものである。

わたくしの乏しい見聞によると、およそ愛の表現としてこの像は世界の芸術の内に比類のない独特なものではないかと思われる。これより力強いもの、威厳のあるもの、深いもの、あるいはこれより烈しい陶酔を現わすもの、情熱を現わすもの、―それは世界にまれではあるまい。
しかしこの純粋な愛と悲しみとの象徴は、その曇りのない純一性のゆえに、その徹底した柔らかさのゆえに、恐らく唯一のものといってよいのではないだろうか。その甘美な、牧歌的な、哀愁の沁みとおった心持ちが、もし当時の日本人の心情を反映するならば、この像はまた日本的特質の表現である。古くは「古事記」の歌から新しくは情死の浄瑠璃に至るまで、物の哀れとしめやかな愛情とを核心とする日本人の芸術は、すでにここにその最もすぐれた最も明らかな代表者をもっているといえよう。

スゴイです、「慈悲の権化」。なかなか出てこない表現です。

がこれらの最初の文化現象を生み出すに至った母胎は、我が国のやさしい自然であろう。愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせいずこの自然とも同じく底知れぬ神秘を持ったわが島国は、人体の姿に現わせばあの観音となるほかはない。自然に酔う甘美なこころもちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴であるが、その根はあの観音と共通に、この国土の自然自身から出ているのである。(略)
わが国の文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰っていかなくてはならない。

実は、この本は、挿入されている入江泰吉撮影の写真が絶妙です。特に中宮寺観音は右斜め前からのクローズアップで、「慈悲の権化」そのもの。必見・必読の書です。
「日本人の起源」を辿りはじめ、道半ばながら「どこまでが日本人で、どこからが外国人(渡来人・帰化人)なの?」という迷いが生じてきていました。改めて、「風土」。そこに、立ち返って追求していきたいと思います。
うらら


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