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「●●してください」と神社にお参りするのは、間違い?!

あけましておめでとうございます。
みなさん、初詣はもう行かれましたか?
何年か前、「神社に、『●●して(させて)下さい』と参拝するのは間違い。『●●するから、見守ってください』と参拝するのが正しい」と教えてもらった事がありました。確かに、お墓にお参りした時に「お願い」することはないですよね?
これを教えてもらったときから、「では、なんで現代の日本人はお願いをしに神社に行くのか」が疑問としてずっと残っていました。この間、神社の成立過程の歴史を追求することで、徐々に鮮明になってきました。


■神社は何を祀っているのか?
神社は日本人の「神」の意識と密接に関連していると言われています。普通は、八百万の神が祀られていると考えています。しかし、神社の「言われ」「由来」をよく読んでいくと、一つの神社にたくさんの神が祭られていることは無く、中心にいる神は大低一つです。
この神は、系列の神社で共通しており、伏見稲荷を頂点とする稲荷系、宇佐八幡大社を頂点とする八幡系などは、同一の神が祭られています。
神社は、古墳時代後期に、古墳に替わる祖先祭祀の場として登場しました。ですから、神社に祀られている「神」は、元を正せば、どこかの氏族の首長が神格化したものです。私たちは、その神をお参りしていることになります。
■なぜ、神社にお参りしていたのか?
古墳時代以降の人たちが、神社にお参りしていたのはなぜでしょうか?
当時の神は、日本書紀や古事記にも書かれているように、神というのは「あらぶるもの」として意識されていました。「神が怒ると、自然災害が起こる」と。自然災害が起こると、この神の怒りを静めるためにお参りし、安定した生活を記念する場が神社でした。

自然災害をできるだけ抑えて安定した生活を送りたいという当時の人々の意識と、神格化された氏族の祖先を中心とした地域統合が一体となっていました。

■神社が変質したのは、なぜか?
氏族・豪族が支配域を広げていく際にも、神社は使われることになります。(太平洋戦争時に日本軍が東アジア地域に神社を設立したことも、アジアに進出してきた欧州諸国が何よりもまず教会を設立したことも同じ理由です。)
地域の人たちが(新たに設立した)神社にお参りすることで、自然と神社が形成する統合域に組み込まれていくことになるからです。
豪族の合議体制の元で運営されていたヤマト王権から、「天皇」を頂点とする律令制への移行する過程でも、神社ネットワークによる統合は進んでいきました。「都」を中心として、無数の神社が設立されていきます。
また、この時期は、聖武天皇が始めた仏教を使ったネットワークも、その支配域を拡張していきました。東大寺を頂点とする全国各地の国分寺がそれにあたります。新たに表舞台に登場した仏教における参拝対象は、「参拝しなければ怒ってしまう→自然災害を起こす」ものではなく、「参拝すれば、見守ってくれる→安定した生活が送ることができる」というものでした。実際、自然外圧をある程度克服しつつあった人類にとっては、仏教の方が身近に感じたのでしょう、神社以上の広がりを持つようになります。
無数に作られていった神社、また仏教の広がりによって、神社もその質を大きく変質させていきます。
■現世利益を約束する「神社」へ
建前上は「平等」であった神社も、数が増えると、そのままでは統合できません。そこで、律令制の整備と歩みを合わせて、神社に「位」をつけていきます。伊勢神宮を別格とした神階制の導入により、(特に下位の神社においては)中央からの支配が弱まることになります。
また、仏教の広がりと共に、「神」のありようも「あらぶるもの」では立ち行かなくなっていきます。当時の文献でも、「神の悩む様子」が克明に記されています。
中央からの支配が弱まり、同時に従来の神のあり様が見直されることで、神社は「現世利益(常世の利益)」をアピールすることで、参拝者や信者を獲得していきます。
この時期、特に各地に設立されたのが「神宮寺」でした。現世での利益を約束するものとして位置づけられた神社は、その後も大量に設立されていきます。
祖先祭祀の中心としての神社であれば、(祖先に)「見守ってください」というのが正しいお参りにあり様になります。しかし、現在の神社のほとんどは、律令制国家の成立と共に「支配のために」作られたのもがほとんどです。ここでは、「現世利益を約束する」ことが、神社の存在意義となっていきました。
過去の人類(や、その前の生物)への感謝が、現世利益に結びついていった(変質して行った)事は非常に興味深い点です。
現在の人類も、過去への感謝、今までの歴史への感謝は欠かせません。「神」といった(現実から遊離した)概念ではなく、事実どうなっていたのかを深く知ることでも、歴史への感謝は可能です。
年に一度の初詣も大切かもしれませんが、日常からの歴史事実の追求(⇒その構造)からくる感謝も忘れずに2009年を過ごしていきたいと思います。

A Happy New Year from ないとう [1]
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<参考>
国家統合と神社の歴史1 祖先祭祀の中心が古墳から神社へ [4]
国家統合と神社の歴史2 伊勢神宮は、なぜ特権的な位置を有し続けたのか? [5]

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