○今回は縄文人の巧みの技を景勝で有名な松島湾に臨む里浜貝塚に見てみます。
「里浜貝塚 [1]は縄文時代前期初頭(6000年前)から弥生時代初頭(2000年前)にかけて、4000年間、宮戸島里浜にムラを作り生活していた人々の残したものです。その大きさは東西約640m、南北約400mと全国でも最大規模の貝塚です。ここには、縄文人の使った、土器、石器、骨角器や食べた動物、魚の骨、貝殻等が多数残されております。」
クリックをお願いします
[2]
[3]
○里浜貝塚の断層です
○釣り針と銛です。右上端にある釣り針は製作途中ですが、骨角に穴を明けながら創る製作の過程が分かります。大きさは8センチぐらいのものもあり、かなり大型の魚も釣っていたようです。
○ヤス(魚を突く道具)
○刺し具、突き具
○鏃(やじりですが魚を取るときにも使ったようです)、根挟(二股になっているところに鏃を差し込んで使うためのもの)、弭(何に使ったのか分かりません)
○鉤先(魚を上げるときに引っ掛けるためのものでしょうか?)
○製塩土器(海草についた塩水を天日に干し、濃くしたものを土器で煮詰めたようです。内側は研磨して漏水しないようにしてある)
○垂飾、貝輪(装身具)
※里浜貝塚のほかにも北上川下流の沼津貝塚(縄文後期末)でも見事な骨角製品が見られます
「顔面付き骨角製簪(カンザシ)」
○同じく沼津貝塚の巧みの技