今年一年を振り返って縄文に関して考古学会で何があったかトピックを集めてみました。
来年の追求テーマにつながれば・・・と思います。
[1]
九州大ミニミュージアム・倭人の形成」が掲載している図
ブログランキングUPに協力願います。
[2] [3]
1.教科書 一教諭の熱意、国動かす 小学校社会「縄文」復活 [4] 2008.2.19
15日に発表された新学習指導要領案で小学社会に縄文時代が復活した。
きっかけは平成17年、東京都内で開かれた日本考古学協会(会員約4000人)の総会に、1人の小学校教諭が議案を提出したことだった。
「みなさんご存じでしょうか。いま、小学生が学ぶ歴史は弥生時代から始まります。
旧石器・縄文を教科書に戻すように、協会として働きかけてもらえませんか」
そんな指摘をしたのは釼持輝久さん(59)。当時、神奈川県横須賀市立長井小の1年生の担任だった。11年の改訂時から胸を痛めていた。
日本考古学協会は、すぐに各教科書を調査。弥生以前の記述がなくなっていることを確認し、教科書問題小委員会を設置し、復活に至った。
当ブログでも、くまなさんが『教科書の弥生時代』 [5]
でも教科書の紹介がされています。
2.本州初の支石墓? 出雲の銅山跡で発見 [6] 2008.5.11
島根県出雲市大社町の鷺(さぎ)銅山跡で見つかった支石暮。
縄文晩期から弥生中期にかけて、九州北部で造られていた支石墓とみられる遺構2基が、島根県出雲市大社町の鷺(さぎ)銅山跡で見つかった。支石墓は数個の支石の上に巨石を乗せる特異な墓。中国から朝鮮半島を経て国内に伝わったが、本州での出土は初めて。
大塚初重・明治大学名誉教授(日本考古学)は「(朝鮮半島からの)鉱山技術集団が、北九州経由のほかに、ダイレクトに山陰地方に渡ってきた可能性もある」と注目している。
梶谷代表は「出雲地方からは、弥生時代の荒神谷遺跡や、加茂岩倉遺跡から大量の青銅器が出土。原料は出雲産とも考えられ、支石墓と合わせ、鷺銅山の解明も必要だ」と話している。
3.京都で関西最古級のコメ粒発見 [7] 2008.6.10
京都市の上里遺跡で見つかった関西最古級のコメ粒(京都市埋蔵文化財研究所提供)
京都市西京区と京都府長岡京市にまたがる縄文時代晩期の集落跡「上里遺跡」から、炭化した弥生前期のコメ3粒が見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が10日、発表した。
弥生前期のコメは大阪や奈良でも出土例があり、関西ではそれらと並んで最古級となる。
見つかったのは竪穴住居が並ぶ区域の脇にある深さ20~100センチの溝。溝はごみ捨て場として使われたとみられ、土を洗い流して調べたところ炭化したコメや豆、ドングリ、淡水魚の骨などが見つかった。
炭素測定の結果、豆や土器の年代は縄文晩期。一方、コメはやや新しく弥生前期の紀元前510~同390年だったが、このころの遺物の年代測定は誤差が大きく出やすく、縄文晩期にさかのぼる可能性もあるという。
4.浮かび上がる縄文のムラ/発掘進む是川一王寺遺跡 [8] 2008.6.27
現地説明会で、土器など本年度調査の出土品に見入る市民たち。
広大な面積を誇る是川一王寺遺跡
八戸市の是川一王寺遺跡は、市教委の発掘調査が3年目を迎え、縄文のムラの様子が少しずつ浮かび上がってきている。縄文中期の深鉢形土器。上部の突起が特徴で、東北南部からの影響が是川にも及んできたことがうかがえるという。
2010年度まで取り組む予定の調査では、本年度、沢に近い南側斜面から竪穴住居跡や土器捨て場が見つかり、このエリアが日常生活の中心だった可能性が高まった。このほど行われた現地説明会には、考古学ファンら約百人の市民が集まり、発掘現場や出土品などに熱心に見入った。
是川遺跡のうち、縄文前-中期を中心とする一王寺遺跡は、約18万9千平方メートルと広大な面積を誇る。1929年以来、本格的な発掘調査はほとんど行われておらず、まだ分からないことが多い。
以上が記事から抜粋です。
まとめると
1.小学校の教科書に「縄文」復活!
小学校だけでなく研究の成果(事実)を現在の社会に役立つかたちで発信していく必要があると
思う。
2.日本人の起源に関する発見?
朝鮮半島からの集団が、北九州経由のほかに、ダイレクトに山陰地方に渡ってきたことを裏付ける
資料になりそうです。今後の調査に期待します。
3.稲作は縄文時代から始まった?
稲作が縄文時代に始まったとする可能性もあり、残っている土からコメを集め、年代の特定を進める
必要があります。
4.浮かび上がる縄文のムラ。
ムラの全体の発掘が進むと当時の生活が分かってきます。
そうなれば婚姻形態や統合様式が分かってくるかも、、、