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DNAから人類の拡散を探る  その6

🙄 🙄 さて、このシリーズも最終章です。 🙄 🙄
saahさんがアメリカ先住民はやはりわれわれ同様のモンゴロイド子孫でしたとレポートしてくれました。
では最後のテーマ
⑪『新大陸に渡ったのはいつか』
    ~新大陸への移動のルートと時期は

を探ります。
その前に
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⑪『新大陸に渡ったのはいつか』
    ~新大陸への移動のルートと時期は
さて、新大陸へ人はいつどうやって渡ったのでしょうか?
まず、saahさんの先回のレポートへのTanoさんのコメントで紹介された記事も調べてみました。
サウスカロライナ大のアルバート・グッドイヤー博士は北米大陸には5万年前から人が住み着いているとの発表を2004年にすでに行なっています。
しかしなかなか反対意見も強いようで、もしかして、この時の発表はつぶされたのかもしれません。
今回の発表も、もちろん反対意見はあるようですが、今回の発見に関するグッドイヤー博士の論文は、学術誌が来年に掲載する予定があるとか、同博士の発掘手法や年代測定などに問題がないか、考古学界で議論されることになる予定があるようです。
 また、来年10月には考古学関連の学会が開かれて 、集まった考古学者がトッパー地区を見学する予定あるそうで結構注目されている。今回は期待できそうです。
さらに同じように5万年前から人がいたとする、以前に紹介した南米の別遺跡の例もあります。
『最初のアメリカ人とは?』 [3]
>5万年前 シェラ・ダ・カピバラの洞窟壁画、炭化物など(その中の人骨は9000~1万2000年前の物で
ニグロイドに似たものだった。しかも、オーストラリア先住民、アボリジニーの頭蓋骨と極めて近いとされています)・・BBCで遺跡の紹介が放映された。<

このように、予想以上に古い時代に人が新大陸に移動している可能性があります。
ではDNAはどういった答えを出したのでしょうか?
アメリカ先住民のハプログループを調べた結果、新大陸に持ち込まれたのは少なくとも2万年前(最終氷期の最盛期より前)から最大4万年前という結果になっています。
これはいわゆる定説とは違っています。クロヴィス文化を創り上げた人よりも早く新大陸に現れたということです。
又、こんな例があります。南米大陸に栄えた文明はミイラが有名ですが、そんな中で、ナスカのミイラのDNA分析のデーターがあります。
ナスカとは、あの地上絵で有名なナスカです。ナスカはインカ帝国の少し前に栄えた文明で、紀前100年から紀元700年頃まで南米ペルーの南部海岸地帯に広く栄えました。
ここもインカ同様ミイラが多く保存されています。そのミイラのDNA分析が行なわれました。
20070320092407.jpg ナスカのミイラの1例です。分析したミイラではありません
ペルー倶楽部 [4]からお借りしました
このナスカの子供のミイラのハプログループはグループAでした。更にA2というサブグループに所属します。
グループAは3万年前バイカル湖付近で生まれたと考えられています。俗に言うマンモスハンターと呼ばれる、寒冷適応したモンゴロイドと思われます。
そしてその中でも分岐が先と考えられるA2のサブグループに属する人が、ナスカにいたということです。
さて、これまでの結論ですが、明らかに定説は壊れつつあります。それも大幅に書き換えられる可能性があります。想像以上に古い時代から人は新大陸に移動していたのは事実だと思います。
確かに氷河に閉ざされていた新大陸ですが、全てが閉ざされていたわけでなく、海は繋がっていました。
人は約5万年前にスンダランドから約1000キロの海を渡ってオーストラリアに移住しています。航海技術上は十分に海岸沿いに新大陸への移動は可能であった証拠と思います。
この人たちと同じグループの人が新大陸にも渡っていったと考えると、北米、南米の遺跡の年代も納得が行きます。
よって5万年前に渡ったと思われる人々も、ナスカのミイラの祖先たちも、基本的にはアジアから移動した人たちと思われます。
遺跡の分析とDNAによる分析とズレはありますが、更に研究が進むことで、新大陸へ人の移動は3万年は遡ると思います。

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