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DNAから、人類の拡散を探る~その3

⑥『出アフリカの二つのルート』
人類がアフリカから世界に拡散して行ったという説はよく耳にするところです。
さて三回目の今日は、そのアフリカからいよいよ旅立って行く人類がどのようなルートを辿って行ったのかを追いかけてみることにします。
過去のブログ記事もあわせてご覧ください。
DNAから、人類の拡散を探る その2 [1]
DNAから、人類の拡散を探る [2]
ミトコンドリアDNAとは【基礎知識】 [3]
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最近のDNAを用いた研究では最初にアフリカを旅立った人数を150人程度と見積もっているものもあるそうです。
以前の投稿で紹介した、基本的な4つのクラスター(L0~L3)の中で、言うまでもなく『アフリカ人の一部と残りの世界中の人たちを包摂している』L3のクラスターに属する人々が、このアフリカから世界に拡散して行った人々だと考えられます。

興味深いのは、この出アフリカ集団がさらにふたつのクラスターに分かれることです。
(中略)
出アフリカを果たした二つのクラスターは、以前の研究でハプログループMとNと名づけられた分類と同じであることが分かっていますので、これ以降はハプログループの名称をもちいて説明します。Mがアジア人だけから構成されるグループで、Nがヨーロッパ人とアジア人を含むグループです。このことは素直に考えると、アフリカからの旅立ちが二回あったことを示しているように見えます。ハプログループMはアジアだけに進出し、Nの方はユーラシア大陸の東西にその分布を広げたことになります。

(「日本人になった祖先たち」より)
まずはこのように、アフリカを旅立った人々は大きく二つの方向へと分散していった可能性が伺われます。

【出アフリカの二つのルート】
さまざまな分野の研究で、アフリカからの拡散について二つのルートが推定されています。ルートの一つは北アフリカから出てゆくもので、紅海の北端からシナイ半島を通って中東に抜けてゆく経路を想定しています。
(中略)
想定されているもう一つのルートは、エチオピアを通ってアラビア半島を抜け、南アジアに達するというものです。最近のDNA分析による拡散の研究では、ほとんどがこのルートを想定しています。最初に出アフリカを果たした新人が通った経路だとも考えられており、その後彼らは南アジアの海岸地域を伝って、四万年以上前にはオーストラリア大陸に到着したと想定されています。

上記の最初の説は、10万年ほど前の遺跡から発掘された人類の人骨の証拠と、分岐年代は早くとも8万年前より以降の時代であるとするDNA分析からの説とで、時代が一致していないようです。
その意味もあってか、現在はDNA分析による研究では後者の説の方が有力なようです。

このルートではアフリカを出発する際に紅海を横断することになりますが、東アフリカから出発することを考えると、その場所は紅海の入り口付近ということになります。現在ではこの地域の紅海の幅はおよそ二十キロメートルありますが、最初に出アフリカがなされたのは氷河期ですから、その幅はずっと狭かったでしょう。現在よりもおよそ七十メートル海水面が低下していたという研究もあります。ですから海を渡ることは今よりは簡単だったと思います。あるいは島伝いにこの海を渡ることも出来たのかもしれません。

サフル人と呼ばれるオーストラリアの先住民であるアボリジニやニューギニアの高地人のなかには他のアジア人とは異なるミトコンドリアDNAを持つ人たちがいます。彼らの遺伝子の系統はアフリカの祖先に直接繋がるのです。分子人類学では、彼らこそが最初にアフリカを出た人々の直系の子孫だと考えています。最近、このルートの中間である東南アジアの島嶼部で、類似のDNAをさがす作業が進められました。その結果、マレーシアの先住民やアンダマン諸島の人々のなかに、やはりアフリカ集団に直接結びつく系統が見出されたのです。それはハプログループMの系統でした。

但しこの説も当時が氷河期で海水面が低下した時期であり、現在の海岸線はもっと後退してしまっているので、化石や考古学的な証拠から検証することは基本的に不可能です。
したがってこの説を確かなものにするにも、まだまだ高いハードルが残っていると言えそうです。
以上のように、アフリカを出た人類は今のところ紅海を渡りアジア方面に進出していった一派と、あるいは北アフリカからシナイ半島を抜け中東に向かった一派とがありそうで、まだまだ考古学的な証拠とDNA分析と、どちらからも完全一致するには不足しているところもあるようです。
但しこの両ルートはハプログループのMとNのグループにも繋がりそうですね。

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