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縄文の衣服

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今回は、世界学問研究所の公式HP [1]から衣服について引用したいと思います。


 縄文時代は、長野、北陸、青森、北海道など寒冷なところに栄えたのであるから、夏服と冬服とは異なっていたであろう。
■土偶から見ると
①襟はVネックで、ウエストがきゅっとしまった少し長めの上着を着ていたり(宮城県の遮光器土偶)、
②襟はVネックで、ケープ状のものをはおっている(関東のミミズク 形土偶)。編み物技術が展開すると、縄文人は植物繊維で衣服を編んで、Vネックで前後を大きくあけた貫頭衣などをつくっていた。
■冬
 鹿、熊、猪などの皮を加工して防寒服をつくっていたであろう。繊維衣服より先に、この動物毛皮があったであろう。
いのしし皮は固いので、鹿皮が好んで使われていたようだ。サケの皮を利用していたことも推定される。
■夏
 木や植物などの繊維を両手、手と腿で糸を撚り、その糸で「俵を編むような編機」で編布(あんぎん)をつくっていたようだ。クズ、アカソ、アオソ、イグサなどは、「抜いて裂くと簡単に糸状になる植物」であった。
■アイヌ人の場合
①初夏、シナ、オヒョウの木の皮(南面の厚い皮)を剥ぎ、「表面の硬い皮を取り除き、内側にあるやわらかい内皮だけを束ねて持ち帰り」、
②温泉・沼・池にその内川を浸し、
③「1-3週間たって内皮を固めている糊分が溶け、7-8枚に分かれるようになったら自ら引き上げた川できれいに洗い、竿などにかけて乾燥させ」、
④「冬になり男達が狩りに行っている間、女たちはこれを薄く剥ぎ分け、細く裂いて糸を作り、布を織ったり袋を編んで暮らす」のである。
 さらには、縄文後期には織物が遺跡からでてくるので、その糸で織った衣服もあったと推定されている。既にシベリアでは旧石器時代から「植物繊維を加工して縄にし、さらに織物を作り出して」おり、必要な植物繊維衣服を作らせていたようだ。
 縫い針も出ており、縄文人がそれで衣服を作っていたとみられる骨針も発見されているので、衣服は糸でしっかり加工され、刺繍で布を丈夫にする場合もあったようだ。なお、最近、三内丸山遺跡では、既に縄文時代前期(約5500年前)の谷の泥炭層から、 縄文時代最古級という平織りの一種が出土した。
以上、引用終わり。
 縄文時代の調査がまだまだ進んでいない頃は「縄文人は裸で暮らしていたのでは?」という説もあったくらいだそうです。そこまでは極端にせよ、まだまだかなり原始的な生活スタイルを想像する人も少なく無いでしょうが、土偶・縄文土器をはじめ、衣服に関しても高い技術力を構築していたようです。
 現在の日本人の器用さも、縄文時代から培われ受け継がれたものかもしれないですね
😀
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