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「ケガレ」意識を基盤に形作られた律令制度

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古代史グループでの追求により、古代日本史が実は朝鮮半島からの侵略史であり、氏族間の争い(ex.物部氏vs蘇我氏)も皇位継承を巡る争い(ex.天智天皇系vs天武天皇系)も、実は朝鮮半島における国家間の争いの縮図となっていることが徐々に鮮明になってきました。特に推古天皇朝以降の百済系勢力と新羅系勢力の争いは熾烈なものであったようですが、奈良時代を通じて徐々に天智天皇系(百済系勢力。藤原氏なども含まれる)にその主導権が移っていきました。この間、徐々に官僚制度の整備が進み、律令時代と呼ばれる時代へと入っていきます。
日本』という国を形作り統合するためには、「規範」が必要不可欠です。律令制度への移行においては、縄文人が持っていた規範意識・規範観念を下敷きにして、様々な規範が成立していきました。
この縄文人が持っていた基底的な規範観念が、今でも強く私たちの意識を形作る『ケガレ』です
現に、この『ケガレ』とタタリを大きな軸として描かれた「もののけ姫」は、私たちの心をつかみ、大ヒットを記録しました。

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自然と共生し続けてきた縄文人にとって”自然”とは畏怖の対象でした。自然が描くサイクルは人智を超えたものとして意識され、この”自然の摂理”は犯してはならない神聖なものでした。
人間も”自然の摂理”の一要素であり、自然と人間は全体として調和した状態を保っていました。『ケガレ』とは人間と自然の均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安と結びついています。一度ケガレが生じれば、(自然と調和した)日常的な生活が送れなくなることを意味します。

たとえば人の死は欠損で、死穢が生じますし、人の誕生は逆にまた、それまでの均衡を崩すことになり、産穢が発生する。
(中略)
巨木や巨石を動かし、自然に大きな人為的変更を加えることも、ケガレと同様にとらえております。
『日本の歴史をよみなおす』網野善彦

これが(個人の)罪と異なるのは、ケガレは個人ではなく共同体全体に降りかかるものであり、ケガレを清めなければ(個人が罰を受けるのではなく)「共同体の運営が崩れる」と意識されていたところにあります。
弥生時代以降の日本では、天津罪(農作業を妨害するような行為)と国津罪(近親相姦など)を犯せば、ケガレが生じると考えられていました。これは逆に、元々縄文人の意識の基層にあったケガレの意識を下敷きにして、「このような罪を犯せば、ケガレが生じる」=「ケガレを生じさせないようにさせるなら、罪を犯さずに生活するしかない」という構造から、規範を浸透→徹底させていったのではないでしょうか。

このケガレを清める人間も、時代と共に変化し続けます。
縄文時代の日本では、ケガレを清める役割を担う人間は、共同体の中でも特殊な立場にいました。そして(朝鮮系氏族を起源とする)神社の神主は、まさにケガレを「祓う」役目を特権的に担う存在として、影響力を強めていきます。また、死者を運ぶ役目を担う人間などは神社直属(≒天皇直属)でした。
そして律令制への以降による身分制度が確立される際に、彼らも平民とは明確に区分されて身分体制の中に組み込まれていきます(「五色の賎」:唐の律令制度を模倣したため、賎民身分に組み込まれたと考えられる)。
特に、天皇のいる京都が人口の特異に集中する町となり、死者が多数発生することでケガレに対する神経質な忌避感が肥大し、それが強固に制度化されていきます。
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このように「制度化されたケガレ(意識)」は、律令国家を形作る上で大きな基盤となりました。
そして、「銭」に対する呪物視(ケガレ視)から、現世とは縁の切れた場(”無縁”の場)での市場が誕生し、市場が発展していきます。鎌倉新仏教の誕生→普及を経て、全国各地に広がっていった市場経済にも、ケガレ意識の影響は強く存在しています。

ないとう@なんで屋でした [4]
<参考>
『日本の歴史をよみなおす』網野善彦
『アマテラスの原風景』角林文雄
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