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大化の改新の偽り(その2) ~日本書紀は捏造された「天智天皇物語」~

前回 [1]、悪者にされた蘇我氏冤罪説を展開しましたが、今回は、大化の改新=乙巳の変の登場人物の中で、誰がこの殺人を仕組んだのかを紐解いてみましょう。
そして、日本書紀に描かれているその捏造は、誰が何の為に行ったのかを明らかにしていこうと思います。
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写真は飛鳥の扉 [2]より拝借
まずは、主要な登場人物の系図から(忍者かすこばの旅行帳 [3]より拝借)
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 ―は親子関係 =は婚姻関係 (赤字は女性)
当時、皇極天皇の次期王位候補は、①山背大兄王、②軽皇子(系図にはないが、皇極天皇の同母弟)、③古人大兄皇子、④中大兄皇子の順番であったという。この順番は、誰かが死なない限り変わらないというのが、ルールであった。
第一継承者の山背大兄王は、人物的に問題があったといわれる。とすると、その暗殺は、蘇我氏の暴挙ではなく、天皇家の支持のもと、軽皇子派と古人派=蘇我氏が共同で共通の敵を倒したと解釈ができる。
とすると、蘇我氏が滅亡に追い込まれた理由は何なのだろうか?
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mansonge氏は、遠山美都男氏の著作をもとに、こう語っています。(「遠山史観による日本古代史」 [6]より、※中略あり)

▼「乙巳の変」の構図と顛末
 蝦夷暗殺と入鹿誅殺劇である「乙巳の変」は、結局、何を実現したか。それは遠山氏がほぼ十年前に看破したことだが、天皇位の初の生前譲位であり、軽皇子すなわち孝徳天皇の即位であった。この指摘の衝撃は「書紀史観」を打ち砕くに値する。ここに蘇我氏=悪玉論は退場せざるを得ないのだ。同時に天智天皇と中臣鎌足の役割の卑小さや、「大化改新」との無関係性を暴露している。(※中略)
 乙巳の変を含めた「大化改新」は、新政を目指した天智・天武、そして持統天皇が再構成した物語である。まず、乙巳の変の構図を整理しておく。これは出来レースであり、軽皇子派の山背大兄王抹殺に続く予定された第二次行動であった。
 「出来レース」と言うのは、実の弟であり多数派となった軽皇子を、皇極天皇が次期天皇と内定した上でのクーデタであったからだ。後の段取り(事件から二日後の譲位と即位)の良さから言っても、皇極天皇はすべてをあらかじめ知っていたと言わざるを得ない。
 「第二次行動」と言うのは、山背大兄王を倒した後は、同じチームで古人皇子派を殲滅する計画であったということだ。そのチームとは蝦夷・入鹿を除く山背大兄王襲撃メンバーに、蘇我本宗家の奪取を目論む蘇我倉山田石川麻呂と次代の継承候補者・中大兄皇子をも誘い込んだものだった。(※中略)。

つまりは、王位後継者を巡る争いの中で、天皇家の最高の臣下であった蘇我入鹿は、皇極天皇の意に反して、身内の古人皇子擁立にこだわった為に、殺害されたということになる。
族長の地位を狙って同族を裏切った石川麻呂は、うまく利用されて右大臣にまでなったものの、4年後には謀反の罪をきせられて自害し、この時点で蘇我氏は断絶する。

▼「乙巳の変」の再解釈とその意味するもの
 では、書紀は何をどう書き換えたのだろうか。第一に、主役を軽皇子(即位して孝徳天皇)から中大兄皇子に置き換えている。第二に、天皇家の忠臣であった蘇我氏を、革新を阻む守旧派であり皇位纂奪を企む悪役として仕立て上げている(蘇我氏の皇室にも似た振る舞いは、身内としてむしろ許されたものだ)。第三に、「乙巳の変」が「大化改新」すなわち律令国家「日本」の始まりであり、中大兄皇子はこの全体構想のもと行動したと印象づけている。
 つまりは、後ちの天智天皇の先見の明を誉め讃え、その即位の必然を物語りたいのである。その「物語」はいまも天智天皇と鎌足との蹴鞠に託した密会がエピソードとしてよく知られているのだから、およそ1300年にわたり粉飾は成功してきたと言えるだろう。
 おそらく持統天皇が「天智天皇物語」のプロデューサーだったと筆者は考える。(※中略)
 彼女は、偉大なる父・天智天皇が企図した天皇制改革を全うしようとした。そのことは、「乙巳の変」では蘇我外戚家を単なる皇位纂奪者としたことに表れている。
 父は外戚などを排して、皇室の血統を統合・蒸留し、自分から始まる新しい皇統(まさにこれこそが、言わば「持ち回り」の「治天下大王」ではない「天皇」家だ)を生み出そうとしていた。これが弟・大海人皇子へ多くの娘を与えたことを始めとする婚姻政策であった。

大化の改新は、全く別の意味合いを持っていた「乙巳の変」を、中大兄皇子(後の天智天皇)による偉大な功績に捏造されただけの幻の出来事だった。
逆にいえば、こんな極端なすり替え行為が1300年以上も信じられてきたのは、日本書紀という捏造文書のおかげであり、この編纂を意図した天智天皇or持統天皇の狙いは見事に実現されたといえるのだろう。
マスコミに踊らされている現在に照らし合わせれば、決して過去の話として片付けられる話ではないと思う。
捏造文書に惑わされることなく、本当のことを知るには、丹念に事実を繋ぎ合わせていくしかない。
今後も、追求を続けていきましょう。

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