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縄文時代の食物

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今日は縄文時代の食文化について、世界学問研究所の公式HP [1]から引用したいと思います。
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■主食
 氷河の融解で旧石器時代の日本の氷河期を代表する大型獣(ナウマンゾウ、ヒグマ)、大型有蹄類(野牛、原牛、馬)が絶滅して、疎林が森林に成長してゆく。この森の恵が縄文人の食を支えてゆく。
 縄文人の主食は、「クルミ・トチ・クリ・ドングリなどの堅果類や、クズ・ワラビ・ヤマノイモ・ウバユリなどの野生のイモ類を中心とする野生植物群」であった。 縄文人骨のコラーゲン分析によると、「全般にクリ・クルミ・ドングリなど植物質食料への依存志向が予想以上に高かった」ことが明らかになっている。
■陸稲 
 水田耕作が発達するのは、縄文時代晩期まで待たなければならないが、陸稲の栽培は思いのほか早かったようだ。岡山県の6000年前の朝寝鼻貝塚から、縄文前期の稲、小麦、ハトムギのプラントオパールが発見されている。
 プラントオパールとは、イネ科植物の葉にできるガラス質で、植物ごとに形状に違いがある。稲は日本には自生していなかった植物だから、誰が持ち込んだかして、栽培されていた。
 陸稲はまだ生産力が低く、耕作者に大きな富をもたらすことはなかった。これが重要なのである。コメ作りが既に始まっていたことが重要なのではなく、まだ剰余を生み出すコメ作りは行われていなかったということが注目されるのである。
■動物 
 植物のみでは、蛋白質の補給が不十分であり、動物の狩猟が不可欠になっていた。植物性食料の収穫期は春秋なので、堅果のみならず、動物食料の貯蔵によって、冬夏の食料不足を補ったであろう。
 大型獣にかわって、中型獣(熊、鹿、猪)、小型獣(狸、狐、兎)、さらなる小型獣(ムササビ、リス、ネズミ)、鳥類(キジ、カモ、アホウドリ)などが登場し、弓矢を中心とした縄文型狩猟がおこなわれた。
 縄文遺跡からは、鹿と猪の骨が最も多く出土するので、この二つが縄文人の主要な狩猟対象とされている(岡村編前掲書、269頁)。だが、鹿は狩猟対象として絵に描かれているが、猪は描かれずに、土製品につくられている。これは、鹿は狩猟対象として重要だが、猪は家畜・多産として尊重されたからと言われる。
 猪の家畜化に関しては、まだ「弥生豚」のような特徴はないとしても、定住化の進展とともに保存食として飼育されていたようだ。飼育ということに関しては、猪か豚かはあまり重要ではないであろう。
 時期と場所によっては、これらの動物が主食にちかくなった事もあったろうが、これだけでは定住は不可能であったろうから、やはり主食は森林食物であろう。
■海産物 
 三内丸山遺跡からは、汽水域(河口部など、淡水と海水がまじりあった塩分の少ない水がある区域)にも棲息する魚(ボラ)、沿岸回遊魚(イワシ、ブリ)、外洋性回遊魚(マグロ、メカジキ、ニシン、カツオ)、海棲哺乳類(クジラ、イルカ)などの骨が発掘されている。
 秋に結ぶ木の実を採集し、貯蔵することを中心としつつ、これを補完したのが、場所によって比重がことなっていたろうが、動物や魚であった。
■保存食
 交換で遠隔地から得た塩漬けや薫製・干し貝などの保存食もあったであろう。
 残留脂肪酸を分析した結果、鹿児島県上野原遺跡で発見された煙道つきの連結土坑は、イノシシの薫製作りのためのものであり、16基もあった。石川県真脇遺跡からは、イルカの骨が300体以上も発見されている。たぶん塩漬けにして、交換にあてたものかもしれない。千葉県加曾利貝塚からは同じ貝が大量に発見されることから、干し貝の加工所跡と推定されるところもある。
■酒
 歴史時代の日本酒は米を原料とするが、縄文時代の酒は、いもとか果物とかを発酵させたものがあった。
 縄文前期の池内遺跡(秋田県大館市)からは、「植物繊維でくるまれたニワトコの果実の種」が発掘された。これは、植物繊維で果実を絞っていることを示唆し、縄文人が果実酒作っていたと考えられている。三内丸山遺跡からも、ヤマブドウ、サルナシ、ヤマグワ、キイチゴなど「酒造用」植物が発見されている。
 稲作のように安定した収穫が無かった分、縄文人は多種多様な食料を拠り所として生活してきた。
 この時、縄文時代の食料は、本来的な食用と一部備蓄(干し物、漬け物、貯蔵穴での保存)に使用されて、特定階層や個人の富形成をもたらした形跡は確認されていない。
 食の欲望はあっても、富形成の欲望は縄文時代には存在していなかったということは間違い無さそうです 😀

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