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“もうひとつの皇統譜”、古代日本支配部族と三韓三国関係

Posted By ihiro On 2008年10月11日 @ 11:30 PM In 未分類 | No Comments

今日は、「日本書記の暗号」林青吾著で読んだ、“もう一つの皇統譜”を紹介します。(下表)
注目ポイントは、それぞれの天皇の出自、三韓三国との関係です。10代の崇神以降が参考になります。
※著者は、元々天皇は“金”とか“朴”とかついていたんだろうけど、他の実名は抹消されているので、そこはやはり“神武”とかしか書きようがないと述べている。
以下37代までの皇統譜、1段で入らなかったので2段に分けています。
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この“もう一つの皇統譜”を見ると、おおきく2つの時代に分かれる。26代の継体までは弁辰、扶余(百済)、新羅、高句麗系などの王統が入り乱れて成立している。継体以後はほぼ百済系に統一されるようになり、大化改新時に一時新羅系が成立している。その内容を少し詳しく見ると、
同書より以下引用

最初に日本に渡来して定着した氏族は、物部氏(新羅系※恐らく新羅の前身の辰韓から、葛城系と一体か?)であった。石見のあたりから畿内に進み、はじめて日本の中原を治めた。彼らの国王は大国主命である。
大国主はいったん、中原を治めたがやがて次の侵入者に圧されて吉備地方に下った。山陰から宇佐にかけてが大国主の勢力圏となった。大国主の一族を追い出して中央政権を握ったのは、聖徳太子系(上宮家)や蘇我氏系、現天皇系であった。。

扶余系応神王が難波朝を建設した270年、新羅の官人が倭の使節を殺害したことを怒った応神王は、新羅に攻め入り、倭・羅戦争となった。が、戦局は新羅方の優勢となり、反撃侵攻を受けて攻め込まれた応神王が降伏して、吉備地方を割譲した。
応神の第四子の仁徳王は、王位につくや民力を養い、新羅に対しては強硬策にじて侵攻したが、敗れて戦死した。以後「倭」は「三韓」に対して積極作をとらず、受身の姿勢を示すようになった。
その時期はちょうど、中国の再興復興の時期と一致し、唐の介入を受け始めた百済、高句麗、新羅は、韓三国の分派の連合体といえる倭国を、それぞれが自国の味方に引き入れ、己の後援者とし、さらに倭国内の自派勢力を強大化することによって、それと合体して逆に韓半島の統一を目指すようになった。

倭では応神朝までは主に韓半島から渡ってきた勢力が直接王位争奪をやった。やがて、大八島列島で育った三韓三国系の勢力の間で、母国の三韓各国の勢力関係に敏感に反応し、影響を受けながら、権力闘争を繰り返すようになった。

しかし朝鮮半島の情勢は、次第に新羅が優勢になり、逆に半島での勢力維持が厳しくなった百済系は倭国での足場を固めていく。

三韓本国で、最後に優勢になったのは新羅であり、劣勢になったのが百済であった。一番弱体でありながら、しかし倭国内で一番古い血族のつながりを持つ百済は、倭に移動して倭を後退根拠地として、韓半島への再侵攻、失地回復を目指そうとした。これは、日本の韓半島に対する姿勢の原型をなすのもであった。

百済王室の倭への浸透は、倭国顕宗王(第23代)時代に始まった。侵攻する百済にやむなく、顕宗王は、山城国と大和国の一部を割譲し、そこは百済の出先基地となった。そして百済王女を倭王に嫁せしめた。継体の妃の手白香がそれである。
この間の倭と高句麗、新羅との戦争はすべて、倭王室と百済王室の婚姻関係によるものであった。538年に百済聖明王が倭に仏教を持ち込んだのも、倭への浸透策の一つであった。
倭に神道を持ち込んだ新羅系の物部氏や、神道よりの鹿骨卜占術を家業としていた中臣氏は、もちろん仏教の受容に反対した。そして、物部氏はあくまで反対して敗退し、中臣氏は、間もなく賛成に転じて蘇我氏らに協力した。

こうして古代日本では百済系が主流を占め、新羅系は反体制的立場におかれるようになった。その新羅系の巻き返しが大化の改新であり、壬申の乱となって表れた。しかし一時は主導権を握っても多勢に無勢で日本における百済系の優位は揺るがなかった。
660年に百済は滅亡、半島に足場を失い、日本人化するしかなくなった百済系の支配部族と、それまでに土着化していた朝鮮出身の支配部族(藤原氏etc)は手を結び、日本書紀で“日本における正統な”皇統譜を捏造した上で、日本における支配体制(中央集権化)構築を進めていった。
ただ出自は忘れがたく、祖国回復をめざし朝鮮に繰り返し出兵を繰り返したのは、歴史の通り。

(by Hiroshi)


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