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インカの「交易」は、実際は交換

インカの社会のしくみがだいぶ明らかになりました。ところで以前インカの交易について、投稿をしたのですが、「交易」というイメージと、インカの社会構造がなんとなくしっくりこない感じもあるので、もう少し調べてみました。%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B9%E8%B2%9D.jpgBlog Ranking [1] にほんブログ村 歴史ブログへ [2]
 


そうすると、読んだ本の中で「交易」とか「商人」とかという言葉は出てくるのですが、それをさらに見ていくと、商人が交易によって利益を拡大していくようなしくみや、そのための「市場」といえるものはなかったようです。
すなわち、再配分制度を基礎とする互恵国家では、商人階級が利益を拡大するという構造そのものが、発展する余地も必要性もなかったといえます。
しかしながら、交易という言葉に見られるように、ある種の交換はあったようです。
その1つは、インカが狭い範囲で気候の多様性を備えていたため、高地と低地の作物の交換をするとか、海岸地方の海産物(干物)と内陸の農産物の交換など、生産で出た余剰物を交換しあうような営みは合ったようです。これらを「地域的交易」と位置づけていました。
もう1つは、社会の上層の人々に対して行なわれた交換です。これは、首長や神官達が権威を高めるために、豪華に着飾ったためにそれに要する芸術的な表現が発展し、金属製作や機織、土器作りなどに専従する職業が生まれたことから生じているようです。飾りには金属や貝なども必要であり、原材料の入手も必要だったことが考えられます。このために工匠たちとは別に、材料を遠方から調達する商人とよばれる人たちも必要であったと考えられます。実際、海岸地方などでは仕事の分業化が進んだようですが、3万人の納税者がいる土地が、1万人の漁民よ1万2000人の農民と6000人の商人に分かれていたとの記述があります。農業や漁業の余剰物を高地に行って金属や飾りや儀式に使う貝などと交換する役割の人たちが商人ということかもしれません。
いずれにしても、徐々に、分業化が進んできたといえます。
エリートや神々が特定の財や宝を所有する必要性から、当事者にしか価値のない品物を手に入れるために、「交易」が必要だったのです。これは経済的な目的とはいえません。
結局、土地も食料も再配分する仕組みの中では、人々は、ある程度の充足を得られており、商売によって私益をむさぼるという抜け道を追求する必要性は生じなかったのでしょう。

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