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神話の背景にある社会構造

日本人の起源シリーズ。今日は、神話です。
文献に記録されて伝わる神話は、必ずしもその民族の神話の原初的内容を示すものではない。神話はその民族の主権者がみずからの権威を高め、また保障する必要性からつくられるものである。そこで権力の背景にある社会構造の変化に伴って、そのたびに修正される可能性をもっている。つまり当初につくられた神話が、のちのちまでその内容を変えないとはかぎらず、その民族の環境や生活様式の変化に伴い、それに対応した神話の内容で語られるようになる。(古代朝鮮と倭族 鳥越憲三郎著 中公新書)
なんで神話が必要だったか?主権者自らの権力を維持するために、自らが神であるよう知らしめる必要があるわけです。そのようなベールで包まれた神話を読み解く上で重要なのは、その背景にある社会構造の変化を読み取るということ。
朝鮮半島から日本への渡来したことは間違いない。しかし、日本と神話は類似性もあるが相違性もあるようです。今日は、日本と朝鮮では社会構造の何が違うのか?神話を通して考えてみたいと思います。 😮
「朝鮮と日本の神話を考える」上田正昭 京都大学名誉教授 [1]を参考にさせていただきました
byさーね
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朝鮮と日本の神話の相違性(部分抜粋)
(類似性についても掲載されているので読んでみてください)
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書かれた日本の神話と、書かれた朝鮮の神話の決定的に違うところが三つあります。それも知っておく必要がある。クシの峰、天降った山の名は類似している。けれども、日本の神話では「荒ぶる神」がいた。降ってきて平定するんです。高天原から降って「言向和平」する。
朝鮮の神話では違う。民衆が「どうか神様降ってください」とお祈りすると降ってくる。 「又曰 皇天所以命我者 御是處 惟新家邦 為君后為茲故降矣 称須掘峯頂撮土 歌之云 亀何亀何」。もしもし亀よ亀さんよと歌うわけです。「首其現也 若不現也 燔灼而喫也」。亀さんの姿を現せ、そうでなければ焼いて食べるぞと。民謡だと思います。「以之踏舞 則是迎大王・歓喜踴躍之也」。神が降ってきたといって民衆が喜び、踊り回る。「歓喜踴躍」する。すばらしいシーンです。
 朝鮮の高句麗や百済、伽耶の神話の場合は卵が天から降ってきて、それが割れて中から誕生する。卵から生まれるという卵生型は日本の神話にはありません。
 そして朝鮮の神話ではお供を連れて天降ってこない。単独降臨です。日本ではお供の神様がついてくる。アメノコヤネの命は中臣氏の祖先です。瓊瓊杵尊と一緒に天降ってくる。後の天皇家の周辺の有力貴族の祖先も一緒に天降ってくる。朝鮮には檀君神話を除いて随伴神伝承はないんです。後の時代はお供が増えますが。そのように内容が違う。
 もとは共通であったはずの朝鮮と日本の神話がなぜこのように違ってきたのか。語られた神話、『古事記』『日本書紀』に書かれる段階で、すでに我が国には天皇制があった。天皇制を背景にできあがった『古事記』『日本書紀』の神話に対して、朝鮮の場合は貴族の合議制。王者はいるのですが、貴族が合議しながら政治をやる(和白制)。よりデモクラティックな民主的な要素の強い朝鮮社会と、我が国のように天皇制を中心にする社会体制ができあがっている。記録化の背景が違ってくる。社会の仕組みが違うので神話の内容も専制的なものになっていく。極めてデモクラティックな朝鮮との違いができたのではないかというのが私の説です。
「朝鮮と日本の神話を考える」上田正昭 京都大学名誉教授 [1]より
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朝鮮:合議制,日本:天皇制。よく考えてみるとかなり違う。
朝鮮は、中国での国同士の戦争圧力と北方からの遊牧民族の侵入圧力に常に晒されることになります。このような状況下において秩序化されるには、EX.封建制度のようにある程度争ったところで縄張りを分け合い、合議制という形を取る必要があった。(それがなければひたすら殺しあうことになる)
一方、日本の場合、それまで争うことなく、自集団第一の共認を軸に各集団が存続してきた中に、朝鮮半島あるいは大陸から渡来人が侵入。ところが、縄文人は元々「争う」という意識がなく、極端に言えば強制圧力を前に従った。(あるいは、そのような状況を受け入れた)よって、天皇制という一極集中の体制となった。
朝鮮と日本の神話の違いは、人々の意識の違いや社会統合様式の違いを表しているのだと思います。 😛

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