こんばんは!!
前回からだいぶ日が経ってしまいましたが、シュメール人の宗教観について、その1 [1]で、彼らは自然の中に神々を観、その神々の意思を探り始めるまでを追ってきました。
今回は次いで、彼らが自然の中に神々を見出して、たどり着いた先とは?
について追っていきたいと思います。
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彼らがたどり着いた先、それは常に正しい行いをすることでした。
前回見てきたように、不幸の到来に脅かされていたシュメール人は、それだけに、楽天的で素朴な人生観を抱いていたエジプト人 😀 と比べて、倫理観、罪の意識といった点で、より深い自覚に達していきました。そしてそれは、神々によって良い報いを与えられるためには、正しい行いを重ねなければならないという精神でもありました。
シュメール人は、彼らを取り巻く、万物の内に神々の姿を見、これを信仰していました。自然の諸力を中心とするこのような多神教が、彼らの宗教でしたので、農業と関係の深い神々が最も敬われ、また恐れられもしました。
その神々の中では、農業に大きな影響を与える、天や大気を統べる神が尊ばれるようになります。
その神がまず、天空神アンです。
アンは天、宇宙の神とされます。「アン」とは楔形文字では、「天あるいは神」を意味し、神であることを示す限定詞として使われていました。他の神々が神であることを示す限定詞を付けるのに、アンの場合はつけません。しかし、天空神アンは、最高神でありながら、実際の祭祀対象になることは稀であったと言われています。
次に天と地の間の大気は、風神エンリルによって支配されるとされました。ここで不思議なのが、最高神のアンよりもこのエンリルの方が、そしてエンリル神殿のあるニップール都市が、現実の政治と深く結びついていたとうことです。
つづいて大地の神はエンキ。またエンキは水の神でもありました。エンキを主神とする都市エリドゥが、シュメール最南端、つまりペルシャ湾と最も近いところに位置していたことが、それを象徴しています。
これらの神が、神々のうちで最高位の三位一座を成しており、つづく三神としては、月神ナンナル、太陽神ウトゥ、明けの明星イナンナ女神がいます。また、「運命を定める七神」といった表現がシュメール神話に度々見られますが、これにはニンフルサグ女神が加わっていると考えられています。
ではこれらの神々を祭る儀式はどんなものだったのでしょうか?
神々を祭る儀式には3通りありました。
まず家庭で祭られる神々があり、次には各都市で祭る神々。都市の支配者のもっとも重要な義務の一つが、これらの神々を祭り、自分たちが住む都市の安寧と繁栄を願うための祭礼を執り行うことでありました。
また、各都市には、主神殿の他にも他の神々の神殿が多く存在しました。これらの神殿では、新年の祭り、新月の祭りなどの他に、神殿の建立、戦勝の祝賀などの儀式が行われ、その儀式は、高度に発達した数多くの神事を伴っていましたが、ただ、神前に供えられる犠牲が目立ちます。
その犠牲の主なものが、羊、山羊、豚、鳥、魚で、他には穀物、麦粉、パン、ナツメヤシ、蜜、ミルク、ぶどう酒、ビール、香料、衣服などがありました。また、壺、宝石、彫像なども奉納されていました。
さらに民族全体に渡る祭儀がありました。
シュメール人の統一王朝時代には、首都ウルの主神ナンナルの大祭と、ニップールのエンリル神の祭典が、重要な意義を持っていました。その中で、エンリル神は、次第に統一王朝の守護神と考えられるようになり、統一王朝の実現を目指す支配者達は、多く、ニップールのエンリル神殿に奉献し、碑文を残しています。
神殿は初めから、地上より高められた台の上に建立されるという特色を持ち、後にはこれが、数層の段をもつジグラットに発展します。このような日干し煉瓦積みの人工の丘の上に、神々の憩いの宮を築いたのは、一つには神々と人々との繋がりを保つためでもあっったとされています。
たとえば、エンリル神のジグラットは、「山の家、嵐の山、天と地とのきずな」と呼ばれ、この呼び名にも、シュメール人がこのようなジグラットを築くことにこめた願いが表れていると考えられています。
神々によって支配され、また多くの力によって幸も不幸ももたらされる、と考えていたシュメール人の社会では、宗教が日常生活の隅々にまで染み通っていたことを、これらのことは物語っています。