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インカの支配体制は?

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婚姻制度の話から支配体制は と問いかけがありました。
あれだけの広大な地域を支配したインカ。一体どのように支配したのでしょうか?
探ってみました。
さてどんな体制であったのか
その前に
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まずはどのように統治されていたのでしょう。
タワンティンスーユと呼ばれるインカはその名のようにクスコを中心に4つ方向にスーユ(地域)を定めて統治されていました。
その中にいくつかのワマン(県に当たる)があり、その中に1万人単位のウニュ(さしずめ市ですか?)があります。
更に平民は、隣組のような、町会のような、10人・100人・1,000人ごとに集団としてまとめられていたようですね。
インカは征服した部族の首長達をクラカと呼ばれる貴族階層として位置づけ、ウニュレベルの支配を任せ、その上位のワマンやスーユの長には,インカの血をひく上層の貴族があたりました。
つまり、被征服地の平民を,全体としてはクラカ・インカの貴族階層によって統治したのですがウニュまでは、元々の集団のままということのようです。
よって共同体が壊されたわけではないようです。
インカ皇統記(二) より 引用しました
>インディオ一人ひとりにトウモロコシを栽培するための畑として、一トップの土地が与えられた。・・・・
一トップの土地は、まだ子のない夫婦の生活を支えるのに十分であった。子供が生まれると、それぞれ男子には一トップ、女子には半トップの土地が与えられた。そして息子が結婚すると、父親は、その子を養うために受け取っていた一ファネーゴ(注 トップと同じ)の土地を彼に与えた。・・・娘たちは結婚すると自分の土地を手放さねばならなかった。・・・・娘が嫁いだ後、その土地は、必要ならば親のものとなり、また必要なければ、地域共同体に変換された。なんびとも土地を売買することはできなかったからである。< 
確かに土地は分配されましたが、私有ではなく、生きていくための必要な農作物を得るための土地でした。つまり鉱山・家畜などすべての生産手段は共同体に帰属し,貴族ですら私有を認められなかったようです。
次に、租税ですが,これも共同体を基礎にしています。
一つは,共同体の土地を,インカ・太陽神・人民の三つに分割し,インカと太陽神の土地に対する労働を行わせ,その生産物を徴収するもので,もう一つは,ミタと呼ばれる臨時的な賦役で,道路・建築・鉱山・戦争のために,成人男子を徴集したものです。
貨幣がなかったインカにおいては、税はほぼすべて、人の労働力にて支払われていたといえそうです。
インカに収められた食料はコルカ(国家倉庫)に備蓄され、ミタや戦争や国王の巡回(行軍)の際に配給され、更に飢饉の際に貧民に分配されたようです。結果的にインカでは飢えはなかったといわれています。
こう見てくると、インカには結局財産(私有)というものは平民にはなかったといえそうです。
では国王は?貴族は?どうだったのでしょう?インカの版図を広げたのは何のためだったのでしょうか?
次のテーマですね。
 

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