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教科書の弥生時代

😀 くまなです
弥生時代とは何か?
学校の教科書でどのように記述されているのかを紹介します。
そのことで、世間で定説となっている弥生時代に対する認識がわかります。
日本の歴史について初めて学ぶのは小学校6年生の社会です。
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今回、内容を紹介するのは、小学6年生の社会の教科書3冊(東京書籍、教育出版、大阪書籍)です。平成16年に検定をうけ、平成17年から使われています。
ところで、このブログの記事「小6教科書から縄文時代が消えた! [1]」でカッピカピさんが紹介されているように、今の小学生の教科書に縄文以前は登場しません(一部を除く)。ゆとり教育以来、そのような状態が約20年続き、ようやく平成23年に縄文以前が教科書に復活します。参照「小学社会に「縄文」 [2]
現在の小学6年生の学習指導要領では「農耕の始まり,古墳について調べ,大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際,神話・伝承を調べ,国の形成に関する考え方などに関心をもつこと。」となっています。(平成23年度から実施される新しい指導要領では上記の冒頭に「狩猟・採集や」が入ります。)
それでは、弥生時代の記述です。
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3つの教科書における「弥生時代」の記述を総合し要約すると、
①大陸から移り住んだ人によって米作りが伝えられ、稲作が始まった。
②米作りが、リーダーや祭りを通じて集団のまとまりを強めていった。
③米は栄養があり、蓄えられるので、くらしが安定し、人口が増加した。
④技術や蓄え(富)の量によって身分の差が広がっていった。
⑤土地や用水、倉庫の食料や種もみをめぐってむらどうしの争いが起きた。
⑥争いが起きたときは、首長が戦いの指揮をした。
⑦首長の中には、ほかのむらを従えるものも出現した。
⑧地域の支配者(豪族)は周りのむら(豪族)を従え国をつくり、王となった。
上記の中で問題と思われるポイントは、
■一つ目は、弥生時代を築いたのは渡来人だけか?ということです。
教科書の記述では、弥生時代の日本は、渡来人によって渡来系の文化に一変し、日本の歴史・文化の起源が渡来人によって築かれたかのような印象を与えます。それ以前の縄文文化は無視され、縄文人がどうなったのかの記述もありません。(一部の教科書では発展学習として記述はありますが、重要な中身はありません。)
縄文人は、自然に対する畏敬の念をもち、集団・個人の争いを封鎖し続けました。そのような気質や精神文化は弥生時代以降も残り、現代にも受け継がれているのです。そのことが無視されているのは、子ども達に誤った認識を与え、次代に向けての可能性探索を阻害しかねません。
■二つ目は、縄文時代には見られなかった集団同士の争いは何が原因で生じたのかということです。
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(大阪書籍「小学社会6年上」より)
その部分の教科書の記述は、

米作りが広がると、土地や水、たくわえた米などをめぐって、むらどうしの争いがおこるようになりました。争いに勝ったむらのかしらは、ほかのむらも支配する豪族への成長しました。さらに、まわりの豪族をしたがえて、むらよりも大きなくにをつくる王があらわれました。

(大阪書籍)

弥生時代には、倉庫の食料や種もみ、田や用水、鉄の道具などをめぐって、むらとむらとの間で争いがおこりました。また、人々は、くらしのことや豊作を神にいのりました。
 やがて強い力を持ってむらを支配する豪族の中から、周りのむらの豪族たちをしたがえてくにをつくり、王とよばれる人があらわれました。

(東京書籍)

米づくりがさかんになると、それまでより安定して食料が得られるようになり、むらの人口が増えました。また、農作業を共同で行うことも多くなりました。こうして、むらの中に、人々をまとめる首長が現れました。首長は、米づくりを指導したり、豊作をいのる祭りを行ったりしました。また、土地や水をめぐってほかのむらと争いが起きた時には、人々をまとめて戦いの指揮をしたと考えられています。人々の間にも、技術やたくわえ(富)の量によって、しだいに身分の差が広がっていきました。
 やがて、首長の中には、ほかのむらを従えるほどの力をもつ者も現れました。こうして生まれた地域の支配者は、それぞれ小さなくにをつくり、王とよばれるようになりました。

(教育出版)
どの記述も、稲作が始まると、いずれ争い(殺し合い)が起こることになっています。
このブログの読者の方はご存知の通り、縄文時代にも集団同士が縄張りをもち、相互に接触がありましたが、争いの痕跡はありません。贈与によって緊張を緩和していました。
縄文中期には温暖化により人口が増加し、後期には寒冷化により人口が激減しますが、どちらにおいても争いは生じていません。縄張りの接触に際しても、集団の危機に際しても、他集団との争いを起こさなかったのです。
集団どうしの縄張り接触がすぐさま争い(殺し合い)に転じるというような認識は、人間や集団は生来そういうものだという認識を子ども達に植え付けてしまいます。子どもたちに、戦争は無くせないと思わせてしまうのではないでしょうか。日本において、弥生以来解放してしまった個人・集団の自我を、次代に向けてどう制御していくかといった課題に向けての探索も阻害してしまいます。
■三つ目は、記述の全体を通じた弥生観です。
弥生人は皆が争いを起こし、支配と従属の関係が連鎖して国の統合へとつながっていくような印象を与えています。我々が農村集落にイメージする精神風土とのギャップを感じざるを得ません。渡来人や弥生人を一元的に扱ってしまっているところに問題があるのではないでしょうか。
■最後に、感想です。
この記事を書きながら感じたのは、教科書は現代社会を正当化しようとする意図があるのではないか、あるいは、何のために学習させるかという戦略や意図が全く無く書かれているのではないか、ということです。
みなさんは、どのように感じますか?

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