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最古の戦争跡地!ガウラ遺跡

Posted By mituko On 2008年6月10日 @ 10:46 PM In Ⅵメソポタミア文明 | 4 Comments

こんばんは~
最近の若者は、「戦争はダメ !」で思考停止 するのではなく、「戦争はやめることができると思う」、だから、「どうして戦争が始まったのか?そこが知りたい 」 そうストレートに発信してくれます。
いったいいつから、略奪闘争が始まったのでしょうか?
それは、どのようなきっかけからなんでしょうか?
どの民族(?)からなんでしょうか?
以前、hiroshiさんが、メソポタミアでの戦争の起源について書かれた記事がありましたね :wink:

・ガウラではXⅡ層(ウバイド終末期※約6200年ごろ)から、XIA層(ウルク前期併行※約5800年前)にかけて、ウバイド期の平和的あるいは平等的性格とまったく異なり、争いや対立という面が強くでてくる(Tober 1950)。
ガウラXIA層の集落北端の施設からは、大量の土製投弾が出土していることから、この施設は集落北端の入り口を防御するための見張り台とされる。さらに別の円形の施設からは、多くの石斧、棍棒頭や石鎚などが出土しており内城とされる。

この、テル・ガウラ遺跡について今日は紹介します。応援お願いします
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ありがとうございます


メソポタミアでは、平和的と言われているウバイド期が終わると、北部メソポタミアでガウラ期が、南部メソポタミアでウルク期が成立します。しかし北部のガウラ期は紀元前3500年ころ終わり、南北ともにウルク期になります。
ちょうどその転換期紀元前3500年に位置する遺跡が、このテル・ガウラ遺跡なんです。
場所は、この地図をご覧ください
me_map02.gif
ちなみに、今はこんな感じだそう。
KK0090.jpg

現在のイラン領チグリス河上流にあった「テベ・ガウラ」が最初の戦争跡地であろうと見られている。
 テベ・ガウラ遺跡として発掘されたのだが、三つの神殿がポリスの中心にあり周囲を家々が囲み統一された街が形成されている。この遺跡を調査するに従って、人骨や家屋の破壊のされ方が異常であることが次々に明らかとなった。猛火で焼け落ち、明らかに頭骨が石か棍棒で叩きつぶされた形跡が残っている。>  外敵に襲撃されて滅亡した小都市の姿なのだ。戦いは恐らく夜であったろうとも推測されている。
 というのは監視塔もあり、昼間なら平坦な地形からして敵がかなり遠くても発見可能だったと思えるからだ。残された武器から判断すると先端に石を結びつけた石斧か棍棒であったと見られる。
 この頃の戦争の目的は略奪と奴隷であり、不必要な相手は一人残さず殺し、集落は徹底的に破壊しつくしたものとみえる。
 これが戦争なのか、単なる盗賊の仕業なのか判断が難しいが、考古学的に実証可能な戦闘跡地として世界最古であることには変わらない。
戦争史としての一ページは、この遺跡と考えるのが無理がない。ちなみにメソポタミア文化の初期ウバイド文化も、このテベ・ガウラで姿を消してしまったそうだ。

こちら [3]から引用させていただきました。
このテベ・ガウラで闘ったのは、誰なんだろう?
ウバイド人の都市をシュメール人が襲ったのだろうか?
そもそもシュメール人ってどんな人?
戦争の起源を示す遺跡なのに、あんまり知られていないようなのです
検証できたらと思います


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[3] こちら: http://www.geocities.jp/sensou_zatugaku/war.htm

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