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人類の起源は東アジア地域、中国の青海チベット高原の東部地区かもしれない

これまでの考古学的発掘記録ではアウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ホモ・サピエンスなどを含む完全に系統立った化石系列が出土したのはアフリカ大陸だけで、そのため人類の起源はアフリカ大陸にあるというのが考古学界での見方でした。また、今まで各大陸でホモ・エレクトスの化石が比較的多く出土しており、特にアジアに多かったことから、学者たちは大体百六十万年前にホモ・エレクトスはアフリカから「放射」されてアジアや欧州およびその他の大陸に移っていったと推測しています。
 しかし長江中流の三峡地区の「巫山人」に関する一連の発見と長江下流流域の安徽省繁昌県における発掘調査から、この学説を覆す発見がなされた可能性がでてきました。人類の起源はアフリカではなくて、アジアの可能性もあるのです。雲南・貴州高原およびその東部の長江流域を含む青海チベット高原以東の広大な地域で二百万年ないし四百万年前の古人類の化石とその生活の遺跡を探すというもので、それによってここ数年来の古人類学界の「人類の起源が東アジア地域、特に中国の青海チベット高原の東部地区である可能性もある」という説が取り上げられています。
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【安徽省繁昌県における発掘調査】
 金博士は一九七六年に長春地質学院を卒業し、後に日本の大阪市立大学で理学博士の学位を取得、長年にわたる考古学の豊富な経験を持っています。考古学資料が示すところに基づいて金博士は、果断にも考古学チームを率いて安徽省繁昌県孫村鎮の癩痢山へと赴いました。
 金博士とその同僚はすぐにも癩痢山で新生代晩期の裂け目のある貴重なたい積層を発見し、それを「人字洞」と名づけました。さらに十五日間にわたる試掘と整理の末、霊長類の上顎(じょうがく)骨および下顎骨と歯の化石、五十種類以上の脊椎動物の化石、人工の打製石器と取りあえず判定できる石片が発見されました。その後何度も検証が行われた結果、テーマグループによって同地の地質年代は、ちょうどグループが探し求めていた約二百万年前のものであることが認められました。
 また人々を興奮させるような結論が発掘によって打製の石器や骨器と同時に出土した九百点余り、六十七種の化石標本から導き出されました。人字洞で発見された脊椎動物の化石は種類が豊富で、その中でほ乳類に属する古い種が占める割合が比較的大きく、その上ほとんどがシノマストドン、ホモテリウム、エクウス・サンメンシス、タピルス、ヒポラグス、ボラチリノミス、ミモミスなどのようなすでに絶滅している種でした。それらの大多数は、鮮新世後期―更新世初期の地層でよく見られるものである。そして、これらは更新世初期においてはすでに絶滅していました。金博士によると、エクウス・サンメンシスの出現は、その生存年代が今から二百五十万年以上にはならないことを示している。「『巫山人』の考古学成果と対比させた後で、もう一度判断する必要がある」と、金博士は語りました。
 ここ十数年に、長江三峡地区の重慶市巫山県廟宇鎮の竜骨坡で発掘された古人類化石と脊椎動物化石は、さまざまな年代学の方法による測定で二百万年ないし二百四十万年前のものであることが確認されており、そのため「巫山人」もこれまでのアジアで発見された最も早期のホモ・ハビリスと認められています。金博士の話では、繁昌人字洞の動物群と竜骨坡の動物群は非常に似ており、中でも十五種以上は比較的接近し、その時代は巫山竜骨坡の動物群と同じであるか少し古いだけで、ほぼ二百万年ないし二百四十万年前に属するそうです。
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 もし青海チベット高原東部地域が人類の起源の地であると証明されたら、次の二つの可能性が生じてきます。
 一つは人類の進化が多元的なものであり、アジアの人類は百万年余り前にアジアから来た可能性がある一方で、歴史上の中国地域の範囲内にも猿からヒトに独自に進化と発展を遂げた系統が存在した可能性があるということです。
 もう一つの可能性とは、人類の起源がアフリカではなくて、アジアこそが人類発祥の地であるということです。
 現在、「早期人類の起源および環境背景の研究」テーマグループの学者たちによって、雲南省元謀地区、長江三峡地区、およびここ数年来百万年余り前の石器が大量に出土した華北地方の泥河湾地区で大がかりな発掘作業が進行中だそうです。

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