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古代エジプト人にとって、死は新たな人生へのはじまりだった

こんばんは!!
○さんが、ピラミッド、そして前回、カッピカピさんが古代エジプトの死生観について、書いてくれましたが、ピラミッド、そして死生観ときたら?
そう!ミイラですね!!
エジプトと言ったらミイラ
ということで、今回はミイラについてちょいと調べてみました。
興味のある方は(ない方も(笑)) ポチッと押して、進んでください!!
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まずは、ミイラは何故作られたのか?
ここから入って行きたいと思います。
ミイラが作られた背景には、○さんが述べておられる死生観が横たわっています。
その死生観というのが、

太陽って毎日昇ったり沈んだりを繰り返すでしょ?これを神の死と再生と見ていたようなんです。 つまり、王様が生き返るためにピラミッドというお墓を造ったっていうこと。

~ピラミッドはなぜ造られた?~
で、その王様が生き返るための体をミイラとして保存したのです。即ち、復活を許されていたのは「王様」だけだったのです。
それは何故か?
かつて、エジプト神話において、死から復活するのは神々の王オシリスであり、死することは、このオシリスと一体化することであり、一度死してからまた復活するというのは、オシリスの復活をなぞることでした。
この神話によれば、エジプトで最初のミイラはオシリス神、そのミイラを作ったのがアヌミス神となってます。

ここで、神話と歴史が同じものとして扱われ、過去にあったことは現在でも起こるだろう。オシリスが復活したように、王様もまた、復活することができるだろう。
ミイラにはこのような願いが込められていました。
そして、王様だけが復活すると考えられ、王様だけがミイラとして保存されました。
後々、王様に近い権力を有する神官もミイラとなることができたようです。
しかし、このように信じられていたのは、実は中王国時代(第二中間期始め)あたりまでなんです。
つまり、ピラミッドが隆盛を極めていた時代までだったのです。
何故かというと、
死者の復活信仰が始まってから1000年以上も経っているのに、過去の誰も復活していない事実に、ようやく人々が気づいたからなんです。
中王国時代に入り、戦乱の世が続くようになると、荒廃した国土を救うために王様が復活してこないことを人々は不満に思い始めたのです。
そこで生まれたのが、「死者は死者の楽園で生きる」という新たな解釈でした。
これが、前回カッピカピさんが述べておられる、

同じ自分として生まれ変わるべきと考えたそうです。ただし、この世でなく、あの世で。そこで、死者は永遠に幸せに暮らすのです。

~エジプト人の死生観~
だったのです。
この信仰の下敷きにあるのが、人間を三つの部分から構成されているとする考え方です。
即ち、「体」「バー」「カー」の三つです。
人が神クヌムによって作られるとき、バーを内蔵する体と、カーが一緒に作られ、バーは体を動かす生命力で、カーは人格といったものです。そして、人が死を迎えると、体は死ぬけれど、バーとカーは生き残り、体を抜け出して飛び回ることが出来ると考えられました。
しかし、夜になるとどちらも体の中に戻らなければならず、体の中に戻って充電しないと死後の死を迎えることになると考え、死体をミイラとして、保護しバーとカーが体へと帰ってこられるようにしました。
こうして、昼はあの世で今までと同じように暮らし、夜は現世の体で充電をするという考え方になっていきました。

さらに、この新たな信仰では、貴賎の区別なく、「正直者」は、冥界で復活し、幸せに暮らせる。と考えられました。そこで人々は、こぞって「オシリス神のいる世界」で生きたいと願うようになりました。
こうして、ミイラ保存が一般大衆に広まり、中には払えるお金によって、ミイラの完成度を変えるミイラ職人も現れ、一種の冥界産業が始まりました(人は何でも商売にしちゃうんですね)。
それで、ただのお供え物が復活した時の準備ではなく、死者の楽園へ持っていくためとなり、そして、生前好きだったものを墓に持ち込む習慣も、生まれていったのではないでしょうか。
やがて、墓の壁面には死者の審判で、神々に好印象を与えるために、生前に為した「良いこと」がビッシリ書かれるようになり、これが、エジプト美術として現代まで残っているのです。

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