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中国古代母系集団は、父系軍事集団(遊牧由来)に服属することで吸収・解体されていったのではないか?

中国における母系集団から父系集団への移行について、その移行段階を大きく概観するため、調べてみました。
bunka01.gif [1]
 地図:紀元前5000年~3000年くらい前の中国   古代で遊ぼ [2]さんよりお借りしました。


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●紀元前6000年~4000年
 母系氏族が繁栄。血縁紐帯による同一氏族が暮らす集落が出現 
し、母系氏族共同体が形成される。
龍に対する崇拝や鳥太陽の図柄などが登場。
専業的な シャーマンが出現し、占ト活動に従事。
 
●紀元前5000年~3000年
 水田稲作の発達。
 3つの勢力(黄河中流域の仰韶文化、黄河河口域の大文口文化、長江中流域の大渓文化)の対立。
●紀元前4000年~3000年
 母系氏族社会後期へ、父系氏族社会への過渡期。黄河流域と長江流域で防御性の高い城壁が出現する。東北の紅山文化では、女神廟、祭壇が出現し、北方の玉器センターを形成。※紅山文化は遊牧と農業の混交した文化。
 長江流域の良渚文化では、農耕が高度に発達。南方の玉器センターを形成する。祭壇と貴族墓地の出現は、神権と軍事統率権を一身に集めた部族連合の首長の出現を示唆。
●紀元前3500年~2000年
 私有制を伴う父系氏族社会が到来する。男子が氏族の統治者となる。黄河流域と長江流域は相次いで首長制の「古国」時代へ移行する。城塞が林立し、酋邦の間には常に略奪性の強い戦争が発生した。
 各古国は政治集団を形成する。夏族、殷族、周族と夷、蛮などの文化が相互に交錯し、軍事的な衝突も発生した。
●紀元前2000年~
竜山文化で文字が出現する。
紀元前1600年頃の殷帝国:青銅の武器や戦車を伴った強力な軍事力の出現。多数の奴隷
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(参照:『文明への胎動』(創元社)を主に参照して作成)
仮説も含めて少し整理してみます
①紀元前3000年ころまで
母系集団のせめぎ合い。
→母系集団の結束力を高めるため、守護神的な龍や鳥、太陽などを信仰する集団とシャーマンが登場。
※母系の段階で既に自部族を正当化・強調する観念が登場している。
②紀元前4000年~3000年ころ
母系→父系集団への過渡期。
→母系、父系集団が並存。多数の集団がせめぎあいながら、部族連合を形成し、なんとか均衡していた時代。
※父系は、紅山文化が遊牧的要素を持っていることから、北西方面からの遊牧集団がもたらした可能性が高い。遊牧民は一定支配ノウハウを持ち、それが祭壇と玉器センターによる部族連合か?
③紀元前3000~2000年ころ
以下は仮説ですが、
この頃に遊牧由来の父系集団が戦争を開始、戦争と略奪が頻発。次第に統合され首長制の小国家が林立していく。
この過程で母系集団は、戦争に強い父系軍事集団に服属していく。父系集団に服属し、父系軍事集団に組み込まれることで父系秩序(男の移籍は無理)を受け入れ、多くの母系集団が父系転換していったのではないだろうか?
※このころ世界的に遊牧軍事集団がユーラシア各地で略奪闘争→大移動しており、竜山→殷はその一派と考えられる。掠奪闘争と部族大移動の概観② [3]
④紀元前2000年~
強力な武力を持った集団による国家形成の時代。
殷は③の小国家群を統合した遊牧軍事集団による、征服王朝。
以上のように経過を押さえると、中国の母系社会は、紀元前3000年~2000年前ぐらいまで続いていたこと。母系社会においても縄張りをめぐってのせめぎあいがあったと見られること。
そして、その縄張り争いを制したのは遊牧父系軍事集団で、母系集団は軍事集団に組み込まれる形で吸収・解体されていったと思われます。
(by Hiroshi)

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