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中国、母系→父系制への転換期①: BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制へ

 中国でいつ、どのようにして父系制に転換したのか?中国の社会の基本的な構造を押さえるにも、その後の東アジアへ父系制が広がっていったことを考えるにしても、そのことが非常に重要だと思う。またそれが東アジアの制度や観念・思想(ex儒教)のベースにもなっています。
 そこで、父系社会への転換時期の状況を押さえながら、できる限り追求してみたいと思います。
まず、ほぼ明確に父系に転換したのは、BC3000年頃に黄河流域に成立した竜山(ロンシャン)文化からと考えられてます。


『文明の誕生』 伊東俊太郎より引用

 この時期につづく農耕文化は、特色ある黒光りする土器(黒陶)によって特徴づけられるいわゆる「竜山文化」である。ここでは、土器製作や農耕の技術も一段と進歩しているが、特に注目したいのは遊牧的要素の受容である。すなわち、ここにはじめてウシ、ウマ、ヒツジなどの飼育が始まっていることである。また男性の祖先崇拝を象徴する石祖や陶祖があらわれ、母権社会から父権社会への変換が示唆されているし、さらに獣骨を焼いて吉凶をうらなう習慣がはじまったのも遊牧民から取り入れたように思われる。
 (中略)
葬制は女性中心から男女の合葬にうつり、一夫一婦制の確立を示唆するとともに、墓の大きさや副葬品も数の多少にちがいが生じ、すでに貧富の差がうまれてきたことを示している。また、さまざまな色の軟玉でつくられた装身具の存在は、交易が広い範囲にわたっておこなわれていたことを物語っている。獣骨を焼いて吉凶をうらなったり、三本の袋足をもつかれきのような、いわゆる三足土器が発明されたり、後の殷文明に連続するものが、ここにはっきりあらわれてきていることは、特に注目に値する。じっさい殷の青銅器のさまざまな器形の原型は、竜山文化に見出されるという。

世界的には、遊牧部族により、初めて父系が始まったのは、約8000年前の西アジアです。「東洋の父系観念 [1]」より
中国においては、西アジアより数千年遅れて父系制が始まっているようです。ただ竜山文化では既に私有婚身分制への変化が見られることから、略奪闘争を経験していると思われ、父系制に転換したのはもう少し前の時代だと考えられます。
少し遡ってみると、それ以前の黄河中流域の仰詔文化(BC5000年~BC3000年)において、母系制から父系制への移行が見られるようです。
仰韶文化中期における父系氏族統合の背景分析 [2]
したがって竜山文化の起こる前の時期(BC5000年前~3000前頃)の時代状況にカギがあると思われます。
bunka_senshi.png
この地図は「古代であそぼ [3]」さんよりお借りしました。中国の古代文化の分布と時代がよく分かります。
このBC5000年前~3000年前は、中国で多くの文化(おそらく部族連合)がひしめきあっていたようです。以前maeyanさんが投稿していた紅山文化もこの時代です。
次回続けて、竜山文化以前の時代状況を分析し、追求してみたいと思います。
※西洋の遊牧父系制が、守護神信仰(後に一神教へ)に収束していったのに対して、東洋の父系制は竜山文化に見られるように、祖霊崇拝によって自部族の結束を強め(後に→儒教へ)に収束していったという違いがあり、その起源に違いがありそうです。ただどちらも遊牧部族が関与しているということは共通のようです。
(by Hiroshi)

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