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古代エジプト文明の本源性の礎を築いた先王朝時代

こんにちわちわわです。
カッピカピさんに引き続いてエジプト文明の基礎を作った先王朝時代(石器時代)に目を向けてみます。
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古代エジプトはメソポタミアと違って本源性が残されていると思われます。
ころころと国家が入れ替わるメソポタミアに対して古代エジプトか前3000年からローマ帝国に支配されるまで、3000年間も王朝時代を維持し続けたのも、自然を崇拝し輪廻転生の宗教観も安定した民族の証だと考えられます。
恐らく父系転換した遊牧部族が移住して作り出したメソポタミアと違って、狩猟採集民が肥沃なナイル河畔に定住して農耕転換したエジプト人は共同体的体質を残存させた事に起因していると思われます。
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南風館よりhttp://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/history/prekingdom.html [4]
以下引用
 ナイル河畔の砂漠地帯、もしくは砂漠の高原地帯から旧石器時代の遺跡が発見された。また、新石器時代の遺跡がナイル川流域により近い沼沢地帯、デルタ地方に現れることから、おそらく4000年以上の長い年月をかけてアジアやアフリカの各地からやってきた旧石器時代人がエジプトの地に達し、そこでナイル河畔の限られた肥沃な大地を開墾して、少しずつ古代エジプト文明を作り上げていったのではないかと推定されている。
 メソポタミアではすでに農耕が開始されていた時期、エジプトはいまだ狩猟・採集生活だったと思われる。氷河期が終了して間氷期に入ったばかりのエジプトは現代と違って雨量も多く、森林面積もかなりあったというが、そうした時期に、エジプトでも原始農耕が始まったと推定されている。年代的には紀元前8000年から紀元前7000年の間のことだったろうと思われる。
 だが旧石器時代が終わるころには気候が急激に変わり、それまで熱帯雨林に覆われていた高原地帯は乾燥したサバンナになり、サバンナだった場所は砂漠化していった。狩猟・採集生活をしていた旧石器時代人は移動を余儀なくされ、わずかに残ったオアシスを転々として生活するよりほかなくなっていったのであろう。
 エジプトに定住を果たした最古の「エジプト人」は、紀元前5000年ごろの新石器時代人であったと思われる。
 最初、彼らはオアシスを基点にほんの小さい村落を形成し、そこで狩・農両方による共同生活をいとなみつつ、農耕がアジアから伝わってくるにつれて狩猟生活を脱し、小規模の農業や動物の飼育で生活するようになったと考えられる。
 農業だけがエジプトの産業すべてではなかったにしろ、彼らはナイル川の氾濫で肥沃な土地が毎年更新され、それを利用すれば多くの実りを得られることを経験で知っていたのである。彼らは住宅地として人工の台地を設け、さらに低地には畑をつくって灌漑水路を掘り、井戸や道路なども生み出していった。

その原動力となったのが、共同生活であった。
 そしてそうした生活のなかで磨製石器の製作、機織りなどの文化を生み出しつつ、少数住民の寄り集まりである集落は徐々に大きくなっていったのではないだろうか。
引用終わり
古代エジプトでは母系集団が維持され続けてきました。
王は即位すると同時に神になり、神の力で巨大な国家を統合することができました。ピラミッドの建設も農閑期の失業対策プロジェクトとも言われています。
対してメソポタミアは王が神を名のろうとしても信用してもらえなかったらしい。
彼らは、バビロニア王朝時代にハンムラビ法典を作りましたが厳罰を明確化する法によってしか統合できなかったのでしょう。

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