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祖神(オヤガミ)はなぜ生まれたか?

縄文時代後期、集団規模が大きくなり、集団を分割せざるを得なくなったとき、彼らはどのように複数の集団を統合していたのでしょう。従来の精霊信仰を土台としつつも、新たに祖神(オヤガミ)という観念を生み出し、それによる統合を図っていたのではないでしょうか?
      宗教的心情の起源 [1]を参照させて頂きました 🙄

当時の人間は森羅万象に隠れ身のカミの気配を感じており,いつもカミと共に生きているという実感を持っていた。自分たちが喜べばカミも喜ぶ,悲しいとき,辛いときは気持ちを切り替え,奮い立たせるために大騒ぎをする。自然という名のカミと苦楽を共にしていた。
自然に対する畏怖の念。自然に生きること。
いつ気が変わるかもしれないカミに翻弄されながらも,精一杯生きてきたのが,われわれの祖先の姿なのである。

縄文人の精霊信仰については、異論のないところです。
引き続き、沖縄・奄美諸島の習俗・伝説を見て行きたいと思います。
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縄文時代の日本の原始信仰を色濃く残している沖縄,奄美諸島の習俗,伝説の分析からは,次のような信仰の特徴を見いだすことができる。

①古代日本人の思考
彼らは,自分の身の回りで観察できる現象,事物からの連想,類推によってカミ,自然,人間を理解しようとした。
すなわち,彼らは太陽の運行,人の生死,植物(穀物)の実りと枯死などを信仰,神話,祭りに結びつけていった。

②太陽の運行
原日本人のなかでも南方に起源を持つ「海の民」は太陽に対する畏敬の念を持っていた。
南の島で見える太陽は,朝日は暁に咲く大輪の花にたとえられ,水平線の彼方に沈む巨大な夕日は島を瞬時に闇をもたらす畏怖を喚起した。
沈んだ夕日は「太陽の洞窟」を通って再び東方に新生すると信じられた。
この信仰が,その後中国で形成された道教,陰陽思想と合わさって,神道の源流となる。

③方角の重視
沖縄地方では,東をアガリ,西をイリと呼ぶ。
その東方のはるか彼方に常世の国,根の国,<ニライカナイ>がある。
ニライカナイには太陽の昇る場所,祖先神,火の神,水の神など神々の居場所があり,一切の生命の種の根源となる場所であると考えられた。

④人間と太陽を結ぶ連想
太陽は東から昇る。人の種も東方,常世の国から渡来する。
太陽は毎日新生と消滅を繰り返し,輪廻転生する。
人間も同様に輪廻転生し,つまりは太陽も人間もこの世には常在しない(無常)。
輪廻転生の間には「穴」が想定される。
太陽の場合は「太陽の洞窟」,人間の場合は生まれるときには「母の胎」,死んだあとには「墓」という疑似母胎の穴に籠もるというように考えられた。

⑤神の概念
古代日本人にとって目に見えず形もないカミは重大な存在だった。
カミは基本的に「隠れ身」の存在としてとらえられた。
しかし,他方で彼らはこのカミを抽象的なもの,観念的なものとしてではなく,具象,目の前の現象や事物の中に見いだそうとした。
そのカミの原型が自分たちの祖神(オヤガミ)であり,同時に穀神(農耕神)=宇賀神でもあった蛇である。

血縁関係を中心として統合されていた単位集団も、規模が大きくなったとき、分割せざるを得なかったと思います。
そのとき、観念の力抜きで、分割された集団を統合するのは極めて困難です。
そこで生み出されたのが「それぞれの集団に共通の祖神(オヤガミ)を敬う」という観念ではないでしょうか?
共同体の成員の死に際し、その霊に祈りを捧げるということと、先祖という特定の人間関係にある霊を敬うということの間には、おおきな転換点を感じざるを得ません。
この祖霊神をもとに様々な「神」が生まれていくことになります。

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