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縄文時代よりも古代~近世の方が飢えの圧力は大きかったのではないか

😀 くまなです
おもしろいデータを見つけました。
1231S.jpg
図は倭人の形成 [1]日本人の時代変化 [2]からお借りしました。
このデータからわかることは、弥生時代に渡来した人々は、縄文人より高身長で全く異質であったことです。また、縄文人が現代人よりもちっちゃかったことがわかります。
それよりも 驚きなのは、江戸時代や明治時代の人々は縄文人よりもずっとちっちゃかったということです。男子で約155cm、女子で約145cmしかない。いまの小6から中1ぐらいの身長です。
なんでだろう?
と思った方は ポチっと押して、続きをどうぞ。
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古墳時代から明治時代初期までの身長データは、関東地方における各時代の成人の右大腿骨最大長から推定した平均身長です。
元データです。
表:人骨(成人)の右大腿骨最大長からの平均推定身長の時代推移
shinchou.bmp
(小宮秀一「日本人の体組成 [5]」より)(引用元:平本嘉助「骨からみた日本人身長の移り変わり」考占学ジャーナル197p24-28、1981年)
データによると古墳時代から江戸時代まで、男女とも一貫して身長が小さくなっています。
身長は栄養状態と関連していると考えられます。ですから縄文人よりも古墳時代~江戸時代の方が飢えの圧力が大きかったのではないか と考えられます。それも時代を下るにつれて大きくなっていったと思われます。
どういうことか?
古墳時代 [6](3世紀後半~7世紀半ば)は古墳を作れるほどの権力が成立した時代です。8世紀初頭には大宝律令 [7]によって本格的な中央集権国家が成立します。しかしまだ身分は官僚中心。鎌倉時代には武士が登場しますが、身分としては確立せず農民との線引きは明確ではありません。安土桃山時代、刀狩 [8]により兵農分離が徹底されて身分制度が明確になります。そして江戸時代は士農工商の身分制度が確立します。
つまり、私権国家が成立し身分制度が確立していくにつれ、下層階級(主に農民)において貧困の圧力が高まり、栄養不良が常態化し、人々の身長が低くなっていったのではないか という見方が成立します。(なお、江戸時代の農業人口は80~85%といわれています。)
江戸時代には度重なる飢饉が起きています。天候不良・虫害がきっかけですが、実態は厳しい年貢の取立てにより生かさず殺さずが常態化し、ひとたび凶作となれば飢餓に見舞われるということだと思われます(参照:リンク [9])。そこで起きたのが百姓一揆です。貧しい家では飢饉の際には自分の子供を殺して食べたという話しもあります(参照:、リンク [10])。
近代化に突入する明治時代は身長の縮小傾向が小さくなり、大正時代以降に一気に反転します。科学技術の発達(輸入)と市場社会の拡大が人々の栄養状態を向上させていったと考えられます。
下のグラフは明治以降の成人男子の平均身長の推移です。
heikinnshinnchou.JPG
(河内 まき子人体寸法の変化と時代の変遷 [11]より)
身長は第二次大戦で少し縮小しますがすぐに回復し、右肩上がりです。貧困が消滅する1970年頃に生まれた子どもが20歳になる1990年頃、身長の伸びは頭打ちになります。

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