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洞窟から遊動、そして定住へ

Posted By naoto On 2008年1月8日 @ 9:24 PM In 未分類 | 1 Comment

漁撈採集民族だった縄文人。
彼らは、洞窟をでたあと、どのようにして定住化を図ったのでしょう?
弓矢の発明により防衛力が飛躍的に増加したとはいえ、洞窟を出るというのは、危険を伴う大きな決断が必要だったのではないでしょうか?
今回は、この問題を追及してみたいと思います。
       北極星と遊動から定住への変化 [1]より
中心点としての、動かない北極星の発見は、生活そのものに劇的な変化をもたらすことになる。
旧石器時代の行動様式は、遊動と移動の繰り返しだった。
ところが、北極星の発見は、運動と静止を再発見させることになる。

世界はぐるぐる回りながら北極星に向かっていく。そのように理解されたようだ。
sekai11.gif 世界がそのように機能し、つくられていると理解すれば、人間もそのように行動しなければならない。
遊動と移動では、運動に偏る。
静止がなければ、ならない。

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アイヌの生活様式を見ると、男性が狩猟にいき女性と子供が家にいる、というパターンをもっており、これは他の民族にも観察できるものである。
ところがよくよく調べてみると、子供は水汲みにいったり、女性は山菜やナッツ類、貝などの採集をおこなっていて、必ずしも家にいるとはいえない。
要は程度の違いであり、一日に戻れる範囲で行動していて、狩猟の場合は、数日ないし数週間を要する範囲を移動する。
この中心点が家になるのだが、先に家が成立するのではない。
中心点が成立したあとで、家を造るようになる。
逆にいえば、手間暇かけて家を造っても、遊動と移動の生活をしていると家を捨てなければならない。
どうせ捨てるものなら、簡単に使い捨てにできるようにつくる。
アイヌは狩猟に出かけた先で、雨露をしのぐための簡易な小屋をつくることがある。
これは狩猟小屋であって、家とはいえないだろう。
概念的に異なるものである。
旧石器時代に家らしきものをつくっていたことは、前に説明した。
また、サケ・マス漁をするようになったことも指摘しておいた。
土器は移動に不便なものである。
これらが定住を促すことは間違いないが、決定的な要因ではない。
北極星の発見こそ、思想的な背景になっており、このことは信仰としての狩りからの脱却を意味する。旧石器時代の社会は狩りに依存していた。
狩猟を行うことによって社会が形成されていた。
ナウマン象やマンモス、オオツノジカなどの大型動物の絶滅は、社会に深刻な影響を与えただろうことは容易に推定できる。
北極星は、こういった不安定要因をもたない。
中心になる星は少しづつずれ別の星が北極星になることはあるが、北極星そのものはつねに存在する。
このことが劇的変化をもたらす。
定住化が進むだけでなく、社会を形作っている概念そのものが変容し、バンド社会から移行していく。《引用ここまで》
画像をみて、おやっと思われた方も多いのではないでしょうか?
縄文早期に多く見られる尖底土器。彼らが住んだ竪穴式住居。そして、どんぐり・しいの実の形。貝の中でも、最初に食べたと考えられているのは、巻貝。

未知の領域に遭遇したとき、人々は祈るような心境になります。
それを乗り越えて、何らかの行動を起こすとき、意識の末端までを統合する必要があります。
(迷いは、命取りになります。)
そんな彼らを支えたのは、自然の摂理そのものだったのでしょう。
そのひとつが、北極星を中心においた世界観だったのかもしれません。


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[1] 北極星と遊動から定住への変化: http://www2.ttcn.ne.jp/~kobuta/bunnka5/b252.htm

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[3] Image: http://history.blogmura.com/in/023841.html

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