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世界の農耕のはじまり。

三内円山遺跡で栗の栽培の跡とか見つかっていますが、世界の農業がどこでどんなぬうに始まったのでしょうか。農業は重労働を強いられる割に安定収穫は補償されておらず、カロリーも飛躍的に高いわけでもありません。
 アフリカ南部に住むサン(ブッシュマン)という狩猟採集民は、栄養価のひじょうに高い(コメの5倍のカロリーの)モンゴンゴの木の実が主食であり、その他数十種の植物を食べる。食料を手に入れるための労働は短時間ですむ。女性の採集は毎日1~3時間、男性は1週間狩りをすれば2~3週間はなにもしない。集団内の4割の人は食料調達の仕事をしていないが、食料は全員に分けられる。それでも必要な栄養量はゆうに上回り、栄養不足はみられない。
 働いていない時間は余暇であり、娯楽を楽しみながら暮らしている。あるサンは、「ふんだんにモンゴンゴの実があるのに、何でわざわざ作物を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという。
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1万年ほど前、氷期が終わり気候が温暖になると、人口が急増して400万人に達したといわれています。現在からすれば圧倒的に少ないですが、狩猟・採集で支えられる人口の上限だったのかもしれません。
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The Purple Chamber ob World Historyさんより引用
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history03.html [3]

かつて、西アジアで農耕がはじまり、世界中に伝わっていったという説がとなえられていた。現在は、世界のいくつかの地域に農耕の発祥地を想定するのが一般的だ。そもそも育てることのできる植物は環境によって異なるから、自然な考え方といえる。
 農耕は、茎や根からふやす根裁農耕と、種子から育てる穀物農耕とに分けられる。
 根裁農耕は熱帯に適した農法であり、1万年以上前に東南アジアではじまった。バナナ、タロイモ、ヤムイモ、キャッサバなどが代表的な作物である。イモ類はいたみやすいため保存・運搬にむかず、必要に応じて食べる分だけ栽培される。
 それに対し、穀物は収穫時期は限定されるが、長期間の貯蔵ができ、遠くへの運搬も可能である。大きな社会を生む可能性のある生業といえる。
 穀物農耕の代表はムギとイネであるが、どちらももとは野生の植物である。野生ムギは今もトルコやイランの高原に自生しており、冬の雨で育つ。対して、野生イネは夏に大量の雨が降るモンスーン地帯の植物であり、インド、東南アジア、中国南部の低湿地に分布する。はじめ、人々はこれら野生の穀物を採集していたが、しだいに粒を多くつける種類を選別し、栽培するようになった。
 栽培化されたのはムギのほうがやや早く、前8000~7000年頃、野生種が自生していたシリア、トルコ、イランの山岳地帯とみられている。収穫したムギの粒は臼でひいて粉にし、クレープのように焼いて食べたらしい。発酵させてふくらませたパンがあらわれるのはずっと遅く、前2000年頃のエジプトでのことである。
 イネは、前7000年頃に中国南部で栽培化された。水生植物のため、水をたたえた状態で育てられる。この方法は、雑草が繁殖しない、おなじ土地でつづけて栽培できるなど利点が多い。前6000年頃の水田跡が長江流域で見つかっている。
 アワ、キビも重要な穀物である。夏の雨で育つが、畑作のためイネのような大量の降雨は必要ない。やせた土地でも育ち、成熟期間も短く、栄養分に富む。前5000年頃に中国北部で栽培がはじまり、この地域の中心的な食物になった。
 トウモロコシは、前2000年頃メキシコ高原で栽培種が生み出された。コムギの2倍に達するほど生産性が高く、南北アメリカの人々の生活を支えた。ムギのように、粉をクレープ状にして焼いたものを食べていた。

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