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縄文人、再生への祈り

Posted By kumana On 2007年12月25日 @ 11:58 PM In 縄文人の集団統合 | 3 Comments

:D くまなです
前回の生きとし生けるものは循環している、という縄文人の世界観 [1]」で案山子さんから
「僕は縄文人やアイヌの人たちが生死を自然の摂理から学んで人は死んでもまた生まれてくると考えたのは微妙だなと思います。自然の摂理からいけば死ねば土に戻るわけで、土から生まれてくるのは植物でしかないからです。自然の摂理における生命の循環の発想とは食物連鎖であり、決して生まれ変わることではありません。」という意見を頂きました。
仏教でいう“循環”と縄文人の世界観は違うと思いますので、言葉としては循環ではなく“再生”の方がふさわしいかもしれません。それを今後、検証していきたいと思っています。
自然の摂理に対する意識のありようは、生死にどう接したかによく表れると思います。そこで、まずは縄文人の埋葬のやりかたから、縄文人の死生観に迫っていきたいと思います。
と思っていたら、さーねさんが、縄文:なんで子を大切にしたか? [2]で、縄文における子どもの埋葬について記事をアップしてくれました。そこで、少し調べてみると、その中で語られている「胞衣(えな)」の埋蔵は、戦後まで縄文と同じように行われていたということがわかりました。※えな:胎児が生み出されたのち、排出された胎盤・卵膜など
胞衣(えな)信仰は、縄文と現代を繋ぐ習俗として、縄文の精神性を掴む糸口になるのではないかと思います。
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まず、縄文時代の胞衣の埋蔵については、例えば、三内丸山遺跡のロングハウスと呼ばれる家屋の囲炉裏端に胞衣壷が埋蔵されていたそうです。他にも富山の桜町遺跡や八ヶ岳の遺跡でも見られます。
一気に現代に飛んで…↓これが胞衣壷。自宅で出産していた頃までは胞衣壷の使用は一般的だったようです。
enatubo.JPG

この胞衣壷は、じつは1998年(平成10)年、私が瀬戸物屋で、定価300円で買い求めた現代の胞衣壷なのである。そう、現役の商品(!)だったのだ。その店の主人(83歳の女性=当時)の話によれば、昭和になっても―――というか、戦後になっても、多くの女性たちがこの胞衣壷を使っていたのだという。「どこの瀬戸物屋でも売っていましたよ」というのである。実際、彼女自身も、1950(昭和25)年、自宅で2人目の子どもを出産したときには店に置いたこの壺にエナを納めたそうだ。なんと、日本の女性たちの出産というセクシュアリティは、昭和20年代まで縄文時代と地続きだったのだ。

縄文の母たちが使った胞衣壷 [5]より
戦前の胞衣について、1935(昭和10)年に恩賜財団母子愛育会が全国道府県の学務部に依頼して調査を行なっています。その結果からわかる胞衣の習俗の内容は、(中略)
まず胞衣の「捨て場」として、人に踏まれるところと、人に踏まれないところとがあること。
たくさんの人に踏んでもらう程丈夫に育つとか、力がつくとか、賢い人になるとか、産後のひだちがよいといい、胞衣を埋めた上を最初に踏んだものを、生児が成長して恐れるようになるとして、その子の父親が最初に踏む例が多いということ。
人に踏まれないところに埋めなかったために生児が夜泣きをする子になったとか、埋め方が悪いと、夜出てきて梁の上を青光して歩くという地方の例も紹介している。
また、現代に伝わる言い伝えには次のようなものがあるそうです。「胞衣(後産)は父親が埋めて、その上をよく踏む。そうしないと親のいうことを聞かない子になる。また埋めた 胞衣の上を最初にヘビが通るとヘビ、毛虫が通ると毛虫というように通ったものが一生嫌いになる 」助産師みっどの妊娠・出産に関するコラムと質問回答集 [6]より
生まれた子どもが元気に健全に育ってほしいという願い、産んだ女性が健全であってほしいという願い、そして子どもが生まれたことを皆で祝い、女性をねぎらう状況がうかがえます。
>厳しい自然外圧に晒されていた彼らにとって、集団の存続=種の存続が第一。出産や医療の技術もほとんど無に近い状態で、子孫を残すこと自体、大変であったと思います。だからこそ、子を想う気持ちも一段と強かったのでしょう
>常に集団第一=種の存続という縄文人の意識=自然の摂理
(さーねさん)
その通りだと思います。
未だ飢えと隣り合わせの縄文人にとって、集団規模を維持することすら大変なことだったはずで、子どもが生まれなかったり、育たなかったりすることは集団にとっての死活問題です。だから集団の維持は最上位の課題だったはずです。
実際、生まれた子どもは15歳になるまでにほとんど死んでしまう状況で、かつ、産んだ女性も命を落とすことがあるという状況で、無事生まれ、育っていくことへの祈りは切実であったろうと思います。
さらに、不幸にして生まれた子どもが死んでしまった場合は、次なる生への祈りはもっと強くなったことでしょう。
また、次なる生への祈りは、新たな仲間=働き手や生殖の担い手を得ることと同時に、その背後にある共認充足源=活力源の再生を願ったのだと思います。
誰かがよみがえるのではなく、誰かの魂が戻ってくるのでもなく、充足や活力が再生され(続ける)ことを切に祈った、のではないでしょうか。


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URL to article: http://web.joumon.jp.net/blog/2007/12/408.html

URLs in this post:

[1] 生きとし生けるものは循環している、という縄文人の世界観: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/11/000377.html

[2] 縄文:なんで子を大切にしたか?: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/12/000404.html

[3] Image: http://blog.with2.net/link.php?538666

[4] Image: http://history.blogmura.com/in/023841.html

[5] 縄文の母たちが使った胞衣壷: http://www.studio-mira.com/Douguology/enatubo.html

[6] 助産師みっどの妊娠・出産に関するコラムと質問回答集: http://www.midwife.jp/menu1/topic_1_2001-08-12.html

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