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人類にとって戦いとは

戦争の起源がホットなテーマになっていますね。私もちょいと読んだ本を紹介します。
人類にとって戦いとは
1.戦いの進化と国家の生成
編者 福井勝義・春成秀爾 出版:東洋書林

この本が興味深いのは、国立歴史民族博物館が監修して、学際的な探求の成果を本にした点です。つまり、執筆者は、霊長類学、形質人類学、考古学、歴史学、文化人類学の領域にまたがっているのです。二人の編者は前書きで、「これほど学際的な視点から『人類にとって戦いとは』にアプローチした試みは、日本は無論、世界的にも私は知らない。」と自負しています。確かに、観念の世界の探求としてでなく、様々な視点からの事実を持ち寄り、そこから真実を探求しようとする試みは、可能性を感じるものでもあります。
で、結局何が書いてあるのってことですが・・・、皆さんもいろいろと論じているように、戦争が人類の本性のようなものなのか?それとも人類の歴史の中では、農耕などが発達してきたごく最近のできごとなのかという素朴な問題意識を学際的に探求しようというものです。
私としては、「戦争の起源」という議論が、いまだに答えの見つからない難しい問題なんだということ自体が、新鮮でもあります。確かに、自分でもそんなことを本気で考えたことはなかったですね。
まず、読むに当たって、この本では戦争の定義を「異なる政治統合を持つ集団間における組織的武力衝突」といったんは捉えていますが、それを考古学が対称にする遺跡など「もの」から検証していくのはきわめて困難であるとも言っている。様々な分野の事実と知見を集めてどこまで解明できるのでしょうか?
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皆さんがいろいろな投稿で述べていることは、この本でも述べられています。特に考古学的な視座から、戦争が本格的に始まったのは、農耕が発達してからだとする立場の著者も記述もあります。この辺は、あえてここでは整理しません。
この本では、人間の前のサルにとって闘争はどんなものなのかから紐解いています。
ヒト以外の霊長類、ニホンザルやチンパンジーなどは、それぞれの種内で、競争し、争い、暴力をふるい、殺した犠牲者を食べるなどの攻撃的性格を持っている。雄同士の戦いや、雄または雌による子殺し、限りある雌の奪い合いなどの原理が働いているけれど、合理的な解釈を与えることは容易ではない。・・・ヒトの争いを支えるルールや暴力の正当化がどのような経緯で進化したのか類人猿とヒトを繋ぐ歴史の解明が必要である。・・・
んーん。スタート時点からかなりの未明領域がありそうです。
ただ、ヒトと霊長類の違いに端を発した興味深い現説がありました。戦争が人類の本性だとする人たちが、「なんでそう言うのか?」のヒントになりそうな部分が、高畑由起夫氏が執筆した部分にあったの抜粋してみます。
「たとえば、ヒト以外の霊長類ではコミュニケーションは存在しても、自己を語る言葉はない。そこでは、『自己』はひたすら他者に読み取られていくだけである。あるいは、それぞれの行動を『主体』に還元することでのみ、理解可能な世界といってもよいかもしれない。もちろんチンパンジーは他者の目に映る自己像を操作することによって、自己を表現し、他者を『欺く』能力をもつ。しかしそれはヒトの言葉が持つ魔力には遠く及ばない(ヒトの言葉は、しばしば、自分自身さえも騙してしまう自己欺瞞の世界である)。
 ヒトでは、社会の成熟にともない『ルール』が誕生した。たとえば、『出エジプト』記に記された十戒は『殺してはいけない』(旧約聖書20・13)と明記する。殺人は明確にタブーなのだ。しかしながら、少し考えればわかることだが、『ルール』の出現は、実は、それを犯すものがいることを物語る。まさに、『創世記』でカインがアベルを殺したように。ヒトの歴史において、他者を殺す行為は最初はチンパンジーのそれのように、単なる『行為』であっただろう。ルールによってその行為に罪という烙印を押す時、はじめて「殺人」が誕生したのである。
 さて、戦争、とくに近代戦はさまざまなルールによって支配される(しかし、しばしば暴走する)政治システムである。個人には決して許されない暴力行為を、国家という集団が行うことを正当化するためにも、がんじがらめの約束ごとで縛りつける必要があるのだろうか。さらにつけくわえれば、ルールは必ずしも確定したものではない。古びたルールは絶えず更新され、新しいルールが絶えず生み出される。とくに、この20世紀には、「一般市民」の大量殺戮を意味する夜間絨毯爆撃も正当化される時代でもある。・・・・中略・・・・このように選択可能な手段としての「集団的暴力」、「ルールとルール破り」そして自己の行為への言及(=自己正当化)などは、ヒト以外の霊長類ではお目にかかれない。・・・・略
「自己欺瞞」「自己正当化」・・・何か、このあたりに人間が戦争をするヒントがあるようにも思います。ということは人類において、自己欺瞞や自己正当化がどのように生まれたかを探求することが、戦争の起源へのヒントかもしれません。
この本では、様々な視点からの興味深い探求があり、一読の価値はありそうです。この続編に期待したいですね。

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