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太古から希少価値の金

世界で始めて貴金属として扱われ、装飾品に使われてきた金。最古の歴史にあるものでは、古代シュメール人が紀元前6000年頃、すでに金装飾を用いていました。歴史上最も有名だと思われるものは、ツタンカーメンの墓 でしょうが、これは紀元前1300年代に作られたものとされています。
古代エジプトでは昔 から「金は高価で尊いものである」として珍重し、金は神が王に遣わしたものだとして、一般市民が金のかけらを持つことさえ禁じました。国民はたとえわずかでも、全てファラオに差し出すものと決められていたのです。
インカ帝国を支えていたのが、金の採掘ですが、スペインに滅ぼされてしまいました。 スペインは金を奪いつくして去っていき、その莫大過ぎる量(一説に5トンとも)が一気にヨーロッパに流通したおかげで、インフレを引き起こし、スペインの国力を弱めることになってしまいました。

基本的に、金というのはいつでも不足していて、希少性の高い金属です。なにしろ、金の埋蔵量は極端に少なく、1トンの金鉱石から3グラムも取れれば上出来という世界です。そこで、中世ヨーロッパでは他の金属から金を生み出す研究が盛んに行われました。これが有名な錬金術というものです。

残念ながら、金を作り出す事はできませんでしたが、錬金術から生まれたさまざまな技術が、現在の科学の始まりとなっています。New4337.jpg
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参考 「金のインサイドストーリーより」http://www.goldxau.com/people/history.html [3]
金はその価値を誰もが認めていたため、交換の際に重宝されましたが、金貨は貨幣として実際に流通させるには希少価値が高過ぎたため、蓄財用として退蔵されるか、せいぜい高額決済に用いられるにすぎませんでした。
金本位制が法的に初めて実施されたのは、1816年、イギリスの貨幣法(55 GeorgeIII.c.68)でソブリン金貨(発行は1817年)と呼ばれる金貨に自由鋳造、自由融解を認め、流通させることになってからです。
その後、ヨーロッパ各国が次々と追随し、19世紀末には、金本位制は国際的に確立しました。
 金そのものを貨幣として実際に流通させる事を金貨本位制といいますが、実際には、流通に足りる金貨が常備できない高額になりがちな金貨は持ち運びが不便などの理由により、金貨を流通させられない場合が多ため、中央銀行が金地金との交換を保証された兌換紙幣(だかんしへい)とその補助貨幣を流通させる事により、貨幣価値を金に裏付けさせる事が行われました。これを金地金本位制(きんじがね-)といいます。
 1929年まで、金本位制は大半の国で続けられてきました。しかしこの年、世界大恐慌が起こり、政情や経済に不信をもった人々は次々とお金を金に交換していきます。
こうして各国とも交換するだけの金を保持しきれなくなり、やむを得ず次々と金本位制から離脱していきます。イギリスから始まった金本位制は1937年、最後に残ったフランスの離脱によって、ここで幕を引くことになったのです。
その後、第二次世界大戦が終わり、アメリカは圧倒的な国力と大量の金を保有するに至りました。そしてその経済力をもって金為替本位制としました。金為替制とは、例えば円は金本位制を放棄したので、円を直接金に交換する事はできないのですが、360円で1ドルと交換でき、ドルは相応の金と交換できる、というのが金為替本位制です。
金為替本位制は、言うならばアメリカの強力な経済力の裏づけがあってこその制度でしたが、アメリカ経済に陰りが見え始めると、金為替本位制はアメリカ経済に深刻な影響を与えるようになり、ついに1971年、当時の大統領ニクソンが金との交換停止や、固定為替から(1ドルは必ず360円と交換)変動相場への移行を発表し、ここに金本位制は完全に終了したのです。
なんかまた、古代からはずしてしまいました(汗)
ちわわでした。

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