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縄文時代研究史(1)

Posted By simasan On 2007年10月5日 @ 9:50 PM In Ⅱ縄文時代 | 2 Comments

◆江戸時代までの縄文研究~神話的解釈から事実解明への転換期
奈良時代の『常陸風土記』には、大串貝塚が巨人に食された、とか、『続日本後紀』(839年)には「出羽国田川郡の西浜に石鏃が天から降ったがこれは神戦のためであろうから、それを鎮めるために当時の東北地方の重鎮、大物忌神社の神階正五位下を従四位下に特進させた」という記述があったり、研究と言うより、神話に近い話が多かったのである。
江戸時代になると、津軽藩は青森県亀ヶ岡式土器の出土を記し、菅江真澄は東北の亀ヶ岡、三内土器を区別して記述。また、田邨省三は、石器と土器との関連、集落地の立地などに言及。
既にこの時代、三内丸山に遺跡があることや、、縄文文化が東北地方にあったことは知られていたのである。
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◆明 治 時 代~日本人祖先論争、アイヌ説が有力に
明治13年、モースが『大森介墟古物篇』を刊行、人骨に人為的な破砕、切削の跡が発見されたことで、「縄文人の食人風習」という、極めて衝撃的な指摘がなされた。
明治17年、坪井正五郎は東京人類学会を組織し、日本で初めて考古学・人類学専門雑誌を創刊した。
 以後、縄文土器の地域性や、弥生土器と縄文土器の違いなどに関わる発見も数多くなされたが、研究の主力は、日本人祖先論に集まり、日本石器時代人がコロボックル(アイヌ伝説にででくる蕗の葉の下に住む小人で、やがて実在説は衰える)かアイヌのいずれかといった論争が中心となった。
◆大 正 時 代~科学的考察から縄文土器様式の一般化へ
人種論でも科学的考察がなされ、しだいにアイヌ式土器が後退して、縄文土器が一般化した。
松本彦七郎は東北地方を拠点とし、縄文土器を形態と文様に基づいて総合的に研究し、その変化基準として「遺跡の層位学的分析」を試みた。
 ここに縄文土器の研究を本格的に発展させたのが山内清男である。山内は、土器の型式学的研究と層位学的分析とを通して、東北・関東地方の編年研究の基礎を樹立した。
◆昭 和 前 期~縄文の移行期をめぐり混迷の時代
山内清男らは縄文時代早期から晩期までの5期区分を行い、縄文時代が狩猟・採集を基盤とした“獲得経済”の時代であり、稲作農耕を受容した弥生時代とはその経済体系が根本的に異なると指摘した。
昭和10年頃から、土器の編年研究を中心とした研究発掘調査が各地で盛んにおこなわれた。
 昭和14年、山内は、『日本先史土器図譜』を刊行して、縄文土器編年に一応の区切りをつけようとした。
しかし、昭和12年、15歳の白崎高保少年によって板橋区稲荷台のローム層中から発見された土器と石器が、山内がBC2500年を縄文時代の始期としていたのに対し、約7~8,000年前まで遡る可能性があることが分かり大論争となった。山内は、これは自説に不都合であったことから、積極的な判断を下せなかったのである。
以上、「縄文時代と現代」 [3]千田 稔 より抜粋
縄文時代研究史(2)に続く


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