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縄文草創期の現実~洞窟に隠れ住むしかなかった

今晩は、さーねです。縄文に関する投稿記事もかなりの数がなされ、縄文人の生活様式が徐々に解明されていく感じがしています 😮 一方、縄文時代の先駆けである草創期に関しては、データや出土物も少なく、当時の人々の生活にまだ肉迫できていないなと感じるところです 🙁
その中で一つ疑問をもちました。草創期の初期は、洞窟生活をしていた=定住の始まりというところです。形態としては定住だと思うのですが…果たしてそんなに簡単に定住にできたのか
洞窟生活に至った草創期の縄文人がどんな状況であったか?そこを鮮明にしたいと思います
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縄文草創期が発見されるきっかけとなった小瀬ヶ沢洞穴 [1]
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今日、参考にさせて頂いたサイトは、縄文文化と東北地方―東北の基礎文化を求めて [4]定住生活の始まりです 🙂

開地の竪穴住居という住様式が普及する直前段階、草創期の人々が積極的に洞窟や岩陰を利用した背景にはそれなりの理由があろう。私は、年間を通じてほぼ完全な遊動生活を送っていた旧石器時代の人々に、ある程度の逗留を可能とする、ベースキャンプを提供したことが、やがて一定期間の居住(つまり半定住)慣習を形作った、つまり、洞窟・岩陰の存在が、定住化のきっかけに大きな役割を果たしたと考える。人々は、定住の便利さを知り、しだいにライフスタイルを定住志向へと転換する。その延長上の文化要素として竪穴住居を受入れ、集落を形成し、縄文文化的定住を実現していったのであろう。

確かに、歴史的には定住生活のきっかけになったとは思うのですが、「なんで、定住したの ということをもう少し鮮明にしておく必要があるなと感じました
るいネット [5]の投稿を参考にしたいと思います 😉
人類の洞窟時代:ノート [6]

② 人類はずっと洞窟に隠れ住むしかなかった。
樹上に住めなくなったカタワのサル=人類はどこに住んでいたか?→洞窟(資料が必要)
人類の祖先たちはずっと洞窟で暮らしてきた。どうして、暗く・ジメジメして・いつ崩壊するかわからないような洞窟に住んでいたのか?
→それは外敵から身を守る為。鋭い牙もなく、走る力も他の動物に遥かに劣る人類は、地上では狸のような小動物にも負ける存在。つまり洞窟に隠れ住むことでようやく生き延びてきたのだ。

人類の脱・洞窟⇒地上進出 [7]

◆猛獣に出くわす機会が多くなる
狩りや採集の途中で猛獣に遭遇⇒槍と弓矢を使い大勢で反撃
⇒猛獣でも追い払える=互角以上に戦えることを発見
◆洞窟から出て地上に住む
防衛力に自信⇒洞窟より食糧確保に適した平地に居住
⇒地域に適した材料(木、動物の骨、土etc)で家屋を建設

要は、洞窟に住むしかない状況に追いこまれた。ここでは、定住が目的ではないと思います。明らかに、自然外圧の恐怖から洞窟に逃げ込んだのだと思います。そこから、弓矢や槍を使って徐々に防衛力を高め、洞窟生活から抜け出した。縄文草創期の人々も同じであったと推測すべきではないでしょうか
縄文草創期の洞窟遺跡は、全国的に散見されるようですが、実は数が意外と少ないようです。洞窟に逃げ込んだ人々だけが生き残り、それができなかった人々は淘汰された。それくらい、厳しい外圧状況であったのだと思います

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