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中国文明~春秋戦国~国乱れる時…市場が発達する!

今晩は。さーねです 😮 先月のなんでや劇場 [1]にて、市場論が扱われました 😀 (詳しくは、Trend Reviewの8/11なんでや劇場「ブログ『晴耕雨読』の市場論に学ぶ」の論点 [2]を見てください。)
最近は、BRICsと言われるように、中国も投資対象国=経済成長著しい新興国として注目されています 😉
今日は、このブログらしく 古代中国の市場を遡り、戦国時代の市場の状況について、アップしたいと思います
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戦国の中国~まさに国乱れる…
古代文明も現代に繋がる認識がある
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『古代中国』講談社学術文庫より、戦国時代の「貿易の発生と関税対策」を引用します

春秋戦国、特に戦国にいたってひじょうに顕著になったのは、商工業の発達である。もともと、古代中国は農業社会であるから、各地域はそれぞれ農業を発達させるのに努力し、それと並んだ手工業を発達させ、地域ごとに自給自足ができるような経済構造をもっていた。商工業は、がんらい国内の需要を満たすためだけだったから、その規模はきわめて小さかった。

ところが、戦国時代にはいると、地方独特の産業が興ってきた。たとえば、木材・鉱物、あるいは海産物といった、各地特有の産業が興り、各地自給自足の春秋時代においては見られなかった大量の生産物が、全国的な規模の市場を通じて、広範囲に売買されるようになった。国境の関所を越えて商品の売買がなされるという習慣が生じたのである。

国が乱立し、国同士の戦争が繰り広げられた戦国時代に、本格的な市場が成立したようです
ここで、先日のなんで屋劇場~市場論からの普遍構造をるいネット [5]より 😉

市場の拡大要因として挙げられた「だまし共認」の例として挙げられた「十字軍の遠征」。そこには、大帝国の影でひそかにのし上がるチャンスをうかがっていた商人の影響があった。大帝国が崩壊し、小国が乱立すれば不安定状態が生じる。そこで、国家に戦争をもちかけることで、富を獲得しようとした。

十字軍遠征が繰り返された背景には、『負けても儲かる商人』の姿があった [6]
どうも、中国の戦国時代もこの構造と似ている気がします。実際、中国で商業の神様とあがめられる陶朱公も、実は戦国時代の人物です。ただ、だましであるかどうか?は若干分析が必要ですね。まだ、史実が不十分かもしれませんが、ここで終わりにせずちょっと仮説を立ててみます
夏・殷・周・春秋(周)時代は、『王朝が武力と呪術で強力に統合』してきた

『王朝交代を繰り返した』

『王朝から陥落した部族・敵対勢力が増えていく』+北方遊牧部族の侵入

【戦国時代へ ←敵対勢力が他国に亡命(王になれないなら、富を稼ぐか?)
=各国の乱立】←『諸子百家(EX.孫子)』
↓       (卓越した論客・策士→だまし?これは言いすぎか?)

中国での市場の成立
かなり行き過ぎた仮説かもしれませんが、引続き史実を調べ、解明していきたいと思います

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