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竪穴式住居

竪穴式住居 ってどんなもの
縄文時代から平安時代初期までの住まいであった、「竪穴式住居」はどんなものかを調べました。いろんな効果、工夫があることがわかります。
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「千葉市の貝塚」 [1]というブログで紹介されていましたのでまとめました。
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1.<竪穴式住居のかたち> 深さ数十cm~1m、直径 5~20㎡の円形の穴を掘り、円錐形の屋根を作った家です。縄文人は円形の住居が好きだったようです。5000~10000年前には、方形の住居がありましたが、4000~5000年前にはほとんどが円形になりました。3000年前には方形の住居がまた作られました。
2.<保温機能>穴が深いほど、土の温度は一定(17~18℃)になります。北海道の竪穴式住居には、2mの深さのものがあります(北海道南茅部町大船C遺跡、函館空港遺跡など)。深さ2mのものだったら、竪穴式という言葉がはっきり当てはまると思います。竪穴式住居は貯蔵庫としていい機能を持っています。”竪穴式住居”に深さ1mの穴を掘り、土器を埋めれば、食料を地表から2mの深さの恒温倉庫に保存できます (今から40年前、冷蔵庫が普及する前、台所の床下の穴に、梅酒や醤油や食料品の一部を保存していました;今は床下貯蔵庫という、単なる収納スペースを確保しているものはあります)。
深さ1mの地面は、それなりの恒温状態です。深さ1mの地面は、冬はぬくもりがあり、夏は涼しさがあります。竪穴式住居は、縄文人が自然の冷暖房を利用するために、地面を掘り下げたのではないでしょうか
3.<家の排気システム>がどうかによって、その家が過ごしやすいか否かが変わります。遺跡に復元されている家を見ると、屋根の構造がこんな簡単でよいかと考えさせられます。初期の竪穴式住居には炉跡はありませんでした。縄文人は、毎日バーベキューをしていました。しかし、約5000年前には炉を住居の中に入れ、煮炊きをするようになりました。炉を家の中に入れると、室温だけでなく、排煙の問題があります。縄文人は、排気システム、涼暖房システムを考えたはずです。
隙間風が入るため、排煙効率は良く、排煙に問題はなかった、煙による薫蒸があり、屋根のカヤは腐りにくくなっていたなどの話もあります。縄文時代の住居は中二階方式で、中二階に寝たと言う説がありますが、中二階はどう考えても夏暑く、冬寒い所です。物置や煙による防虫効果しか期待できないので、貯蔵庫だったかもしれません。
4.<防水機能>竪穴式住居は、屋根や壁が地面に接する場所に盛土をしています。雨水が家に流れ込むことを防いでいます。竪穴式住居の入り口は盛土部分を一段か二段上がり、穴部分の階段を数段下がる構造になっています。
5.<出入り口>一般的に、竪穴式住居の出入り口は南向きが多いと思っていました。しかし、加曾利貝塚の住居跡の出入り口は、様々な方向を向いています。出入り口が南にあると、冬に陽光が差し込み、暖かになります。夏はひさしがあれば、太陽の高度が高いため、灼熱が直接差し込むことはありません。南向きは合理的なのですが、実際は、集落の中の”道”に向って出入り口を作っていたと考えられます。みんなとの交流を優先したということですね。ツマ付き住居であれば、排煙や夏場の温度上昇の問題を解決できます。北海道栄浜遺跡で発見された家形石製品のように、入母屋風の上屋を示す例もあります。

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