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琉球の交流の歴史~概要編

少し前、etoさんも取り上げられていましたが、本土とは違った歴史を歩んできた琉球について、なかなか面白そうなので、少しだけ紹介してみようと思います。
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2007/06/000234.html [1]
 
 
琉球というと、古琉球という時代区分に当たる、琉球王国の時代に象徴されるように、中国(明)との朝貢貿易を主軸に、北は日本、朝鮮から、南はシャム・マラッカ・ルソンなど東南アジアの港史国家との中継交易を盛んにおこなっていたことが思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/jyankkoekitoriyukyu.htm [2]
 
 
このように、地理的には、199余りの島々から構成される琉球弧とよばれる地域には、連なる島々を行き交うように、琉球王国以前からも、周辺地域との交流の歴史があったようです。
 
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      <琉球弧の島々>
 
 
簡単に、時代を遡る形で、その痕跡の歴史を振り返ってみたいと思います。
 
ぽちっとしてください。
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琉球弧の地域で取れる貝が、日本本土の有力者の人たちに重宝された時代。
貝が交易されたルートを称して、 「貝の道」とよばれたりしています。
 
貝の交易としては、平安時代の やこうがい(夜光貝)の交易があげられます。
琉球からの交易品として扱われ、日本からは、長崎産の滑石製石鍋が交換されたようです。
 
奈良・平安時代の重要物品を納める東大寺の正倉にもやこうがいを使った宝物が収納されているそうです。
 
●やこうがい が求められた理由は、
 
厚い殻をもつ熱帯産の軟体動物で、ニシキウズ超科 リュウテンサザエ科に属する大形の巻貝のことです。サザエの近縁種で、殻の高さは平均約15cmで黒褐色や黒緑色数条の淡い栗色の帯があり、内側は真珠のように光沢があります。奄美諸島以南、南西諸島~熱帯インド・太平洋域の浅海の岩礁にすんでいます。古代より螺鈿(らでん)等の貝細工の原料や真珠層を磨き出して杯など細工物に用いられました。
http://sams-sunrise.picot.ne.jp/newpage29.htm#4 [5]
 
 
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          <やこうがい写真>
 
 
さらに時代を遡った、古墳・弥生時代にでは、ゴホウラガイ・イモガイなどの「貝の道」が形成されたいた。
●ごほうらがい
弥生時代には、沖縄でしか取れない大型の巻貝ゴホウラガで作られた腕輪は、権力の象徴として珍重された。ゴホウラガイは、肉厚で、腕輪に加工する際、磨くほどに緑色の光沢が出て美しい光を放つ。 輪切りにもするが、縦に削っていたときに現れる巻貝独特の渦巻き模様は、呪術的であるという。
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2007_01_20.htm [6]
 
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    <ごほうらがい写真>
 
 
●いもがい
イモガイを縦方向にとった貝輪で、本例のように全体に丸みを帯びたものと、逆三角形に近いやや角ばったものと2種類存在する。貝輪はしばしば甕棺墓から、司祭者や権力者と思われる人骨に装着された状態で出土し、南島産の貝が重要視されていたことがわかる。
http://www.kyuhaku.com/pr/exhibition/exhibition_s04.html [7]
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     <いもがい写真> 
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   <いもがい製縦型貝輪>
 
 
お金の起源ともいわれる貝。当時の貴重品としての価値が伺えますね。
 
 
その前の縄文時代には、黒曜石の流通の痕跡や、縄文土器なども発掘されており、交流があったことがわかります。
 
さらに、旧石器時代まで遡ると、その発掘物の多くが、琉球弧の地域より発掘されており、人の移動が行われていたことが伺えるようです
 
http://ao.jpn.org/kuroshio/hitomono/t001.gif [8]
<琉球の歴史年表>
 
琉球弧の歴史といっても壮大なものであり、日本本土との関わりの他、独自の歴史を歩んできている。
次回機会を見て、もう少し詳細に調べて紹介したい思います。

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