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縄文の土笛

縄文というと「まつり」のイメージが強いのですが、縄文人はどのように楽器を使っていたのでしょうか?
私の縄文音楽雑記 [1]より
《抜粋》
土笛は、土器鼓、土鈴とともに「縄文の三種の神器」だそうですが、どんなに優れた笛だとしても、しょせん土笛は土笛。
素朴で温かみがある音色だとしても、演奏すれば、こもった音の単調な調べが繰り返されるだけだろうと想像していました。
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しかし実際に聴いた宇々地さんの演奏は、ほとんどが形式にそって作られているクラシック音楽と違い、自由でダイナミックで無限の広がりを見せ、澄んだ音色を響かせていたのです。
私はライブが始まるとすぐに、自分の硬い頭を柔らかく切り換えなければなりませんでした。
その独特なメロディと節回し、時に優しく、時に激しく語りかけてくるような宇々地さんの演奏は、次第に不思議な空気をかもし出し、会場にいた人々を異次元の世界へと誘っていきました。
彼のうみ出す音楽は、押し付けがましいところがなく、あくまでも聞き手に委ねられていましたので、私たちがそれをどう解釈するか、どうイメージするかは、縄文人であるかないかのリトマス試験紙だったかもしれません。
打楽器奏者で自ら縄文太鼓を復元して演奏する土取利行氏が、自著『縄文の音』に、「縄文人たちの演奏は、単音ないし少数音で、一定のリズムパターンを繰り返すたぐいのものだったと思う」としながら、「縄文人は音色や響きそのものに音楽的感心をもっていた」と書いています。
またニュースレター『縄文』11号のインタビュー記事において宇々地さんも「縄文の笛は音階を出し、メロディを奏でるというよりは『音』の響きを大切にしていたと思われます」と答えていて、図らずも二人の縄文楽器演奏家の意見は一致しています。
自然界のありとあらゆるものに精霊が宿ると考えるアニミズム的な宗教観は、宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」でも感じられるように、今も私達日本人には強く残っています。
そのDNAをたどった祖先の縄文人が、風や嵐や雨、鳥や獣たちといった、森の様々な精霊と、土笛、石笛、鹿笛などを使って魂の交信をしていたとしても不思議ではありません。
縄文時代の音楽をたどる一つの方法として、世界各地にいる先住民を対象とした研究がなされているようですが、土取利行氏の著書『縄文の音』によれば、マライ半島内陸低地密林に居住するネグリットの歌は、ほとんどがシャーマンの儀式のためだそうです。
「短いモチーフからなる旋律、単純な二拍子型のリズム、これらシンプルな音楽構造はまさに集団で歌うことを容易にし、霊にむけての響きをより促進させたろう。シャーマンはこうした響きの中で、自らをトランス状態に追い込み、心の中から湧き出てくる歌を歌い、最後に神に出会う」と書いてあり、かなり興味をそそられました。
それにしても縄文の音楽が、神に意思を伝える手段だったり、狩の合図だったり、何かの儀式に使われたという説は多々ありますが、病気治療のためのものだったという説はあまり聞きません。
神に病を治して欲しいと願う「祈祷音楽」説はあるかもしれませんが、そうした神頼みではなく、自分たち自身で体を直す、治癒力を活性化させるための医療音楽はなかったのでしょうか。
最近音楽療法なるものが注目され、学術的にも認められるようになりました。
病に合ったクラシック音楽を繰り返し聴くことによって、症状が軽くなったり、治癒したりするケースもあるそうです。
特にモーツァルトの音楽は、最大級の治癒力があると言われています。
作家のなかにし礼さんは、「モーツァルトの音楽は、人間の善も悪も、崇高さや愚かさ、強さ弱さ、総てを持っている。それを聴くことによって、体の余分なものを排除し、必要なものを吸収する。すべての人間の細胞を活性化できるのはモーツァルトだけ」と断言しています。
モーツァルトの交響曲第二十五番は鼻炎に効果があるそうで、同じく交響曲第三十五番はアレルギー、有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は胃腸障害に良く効くということです。
モーツァルトの音楽に多く見られる3,500ヘルツ以上の高周波は、体に良いそうですが、山梨県釈迦堂遺跡からは、人間の可聴範囲を越えた20,000ヘルツ以上をだす土笛が出土しています。
このことは18世紀に活躍したモーツァルトとは比べようもなく、今以上に人間の五感が優れていた、縄文という時代の音楽の役割に、医療行為があったかもしれないと思うのは、考え過ぎでしょうか。《引用ここまで》
病気治療の為に、想いをこめて土笛を吹く。それを聞いて具合の悪い人が活力を取り戻す。
いかにもありそうな風景で、妙に納得してしまいました。
縄文人は、音楽の真髄さえも獲得していたのかもしれませんね。

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